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曼陀羅園 丹羽家(まんだらえん にわけ)[Mandaraen-niwake]

所在地
 東山区
 
選定番号
 第4-030号
  


推薦理由(抜粋)
 曼陀羅園と呼ばれる住宅地は,昭和初期に丹羽氏などの有志者によって開発された,当時の住宅開発の好例である。その入口に位置する丹羽家は,隣接する長屋群と連担し,当地の景観の要になっている。



認定番号
 第192号

認定理由
 曼陀羅園は東大路通から豊国廟へ向かう参道の南側,京都女子大に隣接した今熊野地区に立地する住宅地である。同地域は大正2年(1913)に製陶家の西仁太松(にしにたまつ)が竹藪を拓いて築窯した後,窯業が一帯に広がった地である。大正3年(1914)には京都高等女学校(現京都女子大)が移転してきた。大正末期から昭和初期にかけて開発がすすめられ,L字型の路地に沿って一戸建ての住宅2戸,長屋住宅22戸(五軒長屋1棟,三軒長屋3棟,二軒長屋4棟)が建てられた。
 敷地所有者の一人であった丹羽家の居宅は,通りから曼陀羅園に入る路地の入口に建つ木造2階建ての建物である。板塀を巡らし,通り側に門を構える。御幣から,棟梁・林清治の施工により,昭和11年(1936)に建築されたことが分かる。東側に設けられた玄関を入ると,玄関室の奥に2列に5室を配する。南側奥を座敷とし,アカマツの皮付材を用いる床と違い棚を備える。その裏手は仏間としている。2階には4室の和室を配する。12畳の客間は,径5寸の太いシボリ丸太を床柱に用い,床廻りの壁を青色とした特徴的な意匠である。建物の南側には元は池が掘られていた庭が設けられ,モルタル製の灯籠や手水鉢を置いた庭を配する。
 曼陀羅園丹羽家は,大正から昭和初期に造営された路地型の住宅地を構成する,昭和初期に建築された和風住宅である。地主の居宅であった同家は規模も大きく,造作も良質で,高く評価することができる。和風住宅や長屋が建ち並ぶ住宅地の主要な景観要素としても重要である。



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