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京都の財産として残したい建物や庭園“京都を彩る建物や庭園”の発表について
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北区 上京区 左京区 中京区 東山区 山科区 下京区 南区 右京区 西京区 伏見区
選定リスト(公表に同意いただいているもの)
(行政区別 五十音順)
所在地 名 称 推薦理由(抜粋)
北区   井関家
 Isekike
明治に増築された3階部分は,四面が開く望楼風の建物となっている。枯山水の庭園には,おがたまの木や石灯籠があり,また,手水鉢の前には龍の口と呼ばれる排水口などが設けられ,先人の知恵が随所にみられる建物と庭園である。
 一文字屋和輔
 Ichimonjiyawasuke
長保2年(1000)創業の今宮神社の門前であぶり餅を売る茶店。建物は,古いもので約400年前と伝えられている。敷地の北西角に庭がある。
井上家
Inoueke
屋敷には、門、茅葺き屋根(今はトタン屋根で覆われている)の主屋、土蔵などがある。旧葛野郡衣笠村の村長宅で、元住友財閥の総理事 古田(井上)俊之助の生家としても知られている。
 今宮神社
 Imamiya-jinja Shrine
長保3年(1001)に創建された神社で,現在の社殿は西陣の町衆を中心に明治35年(1902)に再建されたもの。南参道は大正期につくられ,その際に楼門が建てられた。参道をまたぐ大きな鳥居は昭和3年(1928)に建てられた。
 岩井家
 Iwaike
雲ヶ畑に現存する江戸時代末期の建築で,木造入母屋造の主屋は,室内はいろりのすす跡で黒光り,大黒柱,おくどさん,太い梁,伏見人形のほていさん等,当時の雰囲気がそのまま残る。
 岩戸落葉神社
 Iwatoochiba-jinja Shrine
北区小野郷の神社。岩戸社と落葉社のふたつの本殿が祀られ,背後には巨大な岩がある。岩戸社は小野上村の氏神で,近世に現在の地に遷されたと伝わる。落葉社は小野下村の氏神で,源氏物語に登場する「落葉の宮」を祭神としているとも伝わる。境内には4本のイチョウの大木が立ち,紅葉が美しい。
上田家
Uedake
中川地域に2軒ある茅葺住宅の1軒で,明治よりも古い時代の建築。枝垂桜等の花々が植えられてた庭には,台杉が植えられ北山らしい風情がある。明治の大火でも焼失せず,維持管理がよくなされ,昔の面影を漂わせている。
 梅辻家
 Umetsujike
上賀茂に残る唯一の賀茂七家であり,主家と書院から成る。主家は上賀茂神社の鳥居を越えない切妻造りの屋根とし,書院は江戸時代に宮中から御学問所を移築したとの言い伝えがある。
 櫻谷文庫
 Oukokubunko
大正2年(1913),日本画家木島櫻谷の自宅として建てられた住宅で,広大な敷地に和館,洋館,画室が建つ。洋館は,和洋を折衷した独特のデザインを用いる。画室は64畳敷きの大きな部屋で,小屋組は木造のトラスとなっている。
おおきに迎賓館 紫明出雲路邸
Ookinigeihinkan Shimeiizumojitei
加茂街道の近くに建つ近代和風住宅。主屋,洋館,蔵などが建つが,道路からは高塀に隠されている。庭は桜や楓などが植えられ,主屋や洋館などから眺めることができる。随筆家岡部伊都子が暮らし,執筆活動を行った住宅である。
 かざりや
 Kazariya
江戸時代創業の今宮神社の門前であぶり餅を売る茶店。建物は築後450年位といわれている。銀木犀や紅葉で彩られる庭には「水琴窟」がある。
new カトリック衣笠教会
 Catholic Kinugasa Church
昭和25年(1950)に創立したカトリック教会。旧聖堂は昭和27年(1952),新聖堂は昭和33年(1958)に献堂された。新聖堂建設には祇󠄀園の芸妓からアメリカの大富豪夫人となった「モルガンお雪」と呼ばれる女性が大きく尽力した。
上賀茂梅ケ辻町の民家
 Kamigamo-umegatsujicho Minka
大正末期に建築された木造住宅。敷地内には通りに面して地蔵が位置し,ムクノキが四季折々の表情を見せる。火袋が丁寧に残され,小屋組を見ることができる。
new 鴨井家
 Kamoike
鎌倉時代から存在する築100年以上の酒造りも行っていた住宅である。東郷平八郎が狩猟のため宿泊に利用していた。北山杉や太い桧を使用した木造建築で、広い庭のある、見晴らしの良い家である。
 紙屋川庭園
 Kamiyagawa-teien
かつて西陣の織屋さんが日本や世界の人々の散策や交流を通じて,古代より続く日本の美の発信地にするとの思いで造り続けられたと言われる素敵な庭。
 河本家(華の庵)
 Kawamotoke(hananoiori)
大正初期に建築された木造住宅。庭は、金閣寺庭師 玉根徳四郎の作である。夏季は夏の設え(敷物は網代、建具は葦戸)に取り換えられる。箏曲教授所やコンサート会場として使われている。
 旧北山丸太会社倉庫
 Kyukitayamamarutagaisha-
 soko
磨き丸太の加工・乾燥・保管に用いられてきた。二階・中三階・三階を組み合わせた独特の外観。磨き丸太の天然乾燥のためのテラスが珍しい。
旧秀粋庭園
Kyu Shusui Garden
染色家で呉服商・秀粋の社長であった市田美喜雄が,和服の展示場として造営した庭園。移築された建物が神山を背にした斜面に配置され,庭園内には道祖神などの様々な石造物が配されている。
 旧藤ノ森湯
 Kyu Fujinomoriyu
昭和5年(1930)に銭湯として開業。外観正面の腰壁や浴室にマジョリカ風タイルが使われているのが特徴。銭湯は廃業し,現在はカフェとして活用されている。
京苑
Kyoen
昭和5年(1930)に建てられた近代和風建築の住宅で,室内の各所には,檜,紫檀(したん),黒檀(こくたん)などの木材が使われている。現在は宿泊施設として活用している。
new 京見峠茶家
 Kyomitoge-chaya
西の鯖街道沿いに建つ。江戸時代には旅籠だった。昭和30年(1955)頃に茶屋を開業したが数年前に閉店。室内には,おくどさん,古文書,民芸品など貴重な品々が残っている。
 旧森菅家
 Kyu Morisugake
北区中川の住宅。明治の大火で全焼し,その後,建てられた。林業で生計を立てていたため,主屋のほかに,磨き丸太を加工し,乾燥させ,保管するための倉庫が建つ。敷地内には丸太を磨くための「イケ」と呼ばれる水槽も残されており,林業の暮らしを伝えている。
暁雲荘
Gyounso
和館,洋館,八角形の茶室,回遊式庭園を持つ近代和風の邸宅。昭和11年(1936)に建てられた。庭園に面してガラスを多用した開放的な空間が特徴。
 日下部式部家
 Kusakabe Shikibuke
北区小野郷の北山型民家で,明和9年(1772)に建てられた。小野郷は,古来より天皇家の御料地で,日下部家は,供御人(くごにん)として,御所警備や林産物を献上する役目を担っており,室内には,献上品を整えるための金物や,饗応のための丸炉(がんろ)等などがある。
 日下部大助家
 Kusakabe Daisukeke
小野郷の民家。新座敷は大正時代に,柱から建具まで1本の北山杉の巨木から建てられたと伝わる。
久保家
Kuboke
鴨川の源流の山里,雲ケ畑に建つ築100年を超える民家。周囲の山々と建物が一つの風景となっており,たなびく煙は懐かしい暮らしを思わせる。
高桐院
Kotoin
慶長年間,細川忠興(三斎)が父である藤孝の菩提を弔うため創建された大徳寺の塔頭寺院。方丈や客殿,周囲を紅葉の疎林で埋める庭園等は,三斎の人となりや言い伝えが寺内各所に残されている。
 小西家
 Konishike
南と東に豊かな庭があり,よく手入れされ,四季折々に美しい。創建当時の趣を色濃く残している。
小林家
Kobayashike
昭和39年(1964),増田友也設計により建てられた住宅。外観はピロティや打ち放しコンクリートの壁面などル・コルビュジエを思わせるが,室内は襖や障子を用いた和の意匠が用いられている。
咲耶楼
Sakuyarou
平楽寺書店を建てた「からき屋工務店」(唐木半七)により建てられた。和室も洋館も良い状態で保たれ,大切に守られていたことがわかる。

讃州寺
Sanshuji Temple
創建当時は独立した寺だったが,大徳寺塔頭玉林院下に入り,17世紀半ばに現在地に移転した。現在は,方丈,仏殿があり,本尊は地蔵菩薩で,鎌倉期の作と伝えられる。毎年8月には地元の人たちが集まり,地蔵盆を行っている。
 紫明会館
 Shimeikaikan
外観は平滑な意匠であるがスパニッシュを基調としたデザイン。建築後大きな改変は行われておらず,戦前の雰囲気をそのまま残している。

 しょうざん光悦芸術村
 Shozankoetsu
 Geijutsumura
庭園は料亭の和風建築の横を流れる小川,樹木の茂みや苔むした斜面から造られている。台杉の庭や,紅葉の季節には両岸から覆いかぶさるように染まる紅葉が見もの。
 眞如寺
 Shinnyoji Temple
大本山相国寺の山外塔頭の一つ。創建は鎌倉時代に遡り,五山十刹にも数えられた名刹。法堂は明暦2年(1656)の建築。仏像や襖絵に加え,春のカキツバタ,秋の紅葉も見どころ。
 神光院
 Jinkoin
京都三大弘法のひとつである神光院は,明治の神仏分離の際に一旦廃寺となり,その後文政12年に再興されたと伝わる。境内には,本堂,中興堂などのほか,大田垣蓮月尼が晩年過ごしたとされる庵が残されている。
new 菅原家
 Sugawarake
昭和2年(1927)から8年(1933)頃に建てられたと思われる洋風住宅。木製開口部、レンガ塀、外灯等が当時のまま残っている。貴重な昭和初期の洋館として文化財的価値が高いと思われる。
 杉江家
 Sugieke
昭和2年(1927)に建替えられている。庭園の石や灯籠は100年以上前のもの。石の中には,今では手に入らない鞍馬石等の貴重なものもある。
 聖ヨゼフ修道院門の家
 St.joseph shudouin-monnoie
門は煉瓦造,門番小屋は煉瓦壁と木造部が特徴的であり,中世的な意匠を持っている。全く老朽化を感じさせない堅固な建物で,周囲の歴史的な景観を醸し出している。
宗蓮寺
Sorenji Temple
北山杉や紅葉の木に囲まれた山寺。台杉の庭園がありその根元には山地に生息する野草が花を咲かせる。書院から眺める北山杉の借景には心が癒される。
 高田家(博真社)
 Takadake(Hakushinsya)
昭和6年(1931)に建てられた住宅で,北側は洋館,南側は和風,地下には遊戯場がある。和洋の空間ともに上質で,家具,備品,壁紙,襖などは,建築当時に近い状態で保存されている。
重山文庫(旧新村家)
Chozanbunko(Kyu Shinmurake)
広辞苑を編纂した新村出(しんむらいずる)の旧宅。木戸孝允別邸の一部を移築した建物で,明治初期の趣を残す。現在は重山文庫として,奥座敷などが公開されている。
 中川八幡宮社
 Nakagawa-hachimangusha Shrine
室町以前に創建され,大火により焼失も明治28年に再建。境内にある白杉は推定500年を数えられる。山の傾斜地に建ち,鎮守の杜として山の神々を祀ったという由緒にふさわしい趣を持っている。
中田林業倉庫
Nakataringyo-soko
戦前に建てられた。川に面しており,磨き丸太の加工場と倉庫として使われてきた。母家も同じ敷地にあり,職住近接となっている。北区役所主催の市民コンテストで第一位となった写真が清滝川とこの倉庫である。
 西川家
 Nishikawake
金閣寺の近くに建つ木造2階建ての住宅。外観は,水平線を強調した深い軒や丸窓など,モダニズムのデザインである。室内は和室と洋室がバランスよく配置されており,現代の生活にも適している。
 日本聖公会京都復活教会
 Nippon Seikohkai
 kyoto Resurrection Church
昭和11年(1936)に建てられたヴォーリズ設計による教会。礼拝堂は,装飾的な木製トラスが特徴。通りから見る鐘楼はランドマークにもなっている。
 日本福音ルーテル賀茂川教会
 Japan Evangelical Lutheran
 Church Kamogawa
ヴォーリズが設計した教会で,昭和29年(1954)に建てられた。礼拝堂は祭壇上部のアーチが印象的で,木の小屋組,白い壁,木の腰壁で囲まれた温かみのある空間である。
 速水 滌源居
 Hayami Tekigenkyo
春は奥庭の桜,初夏はもみじの新緑とみずみずしい青苔,秋は燃えるような紅葉,冬は静寂の中の雪景色として四季折々,様々な面を露地・庭が見せてくれる。
 柊 湯
 Hiiragi-yu
柊野の銭湯。開店から50年以上になる。タイルに描かれた浴室の絵が美しい。現在,このようなタイル絵をつくる職人がいなくなっており,貴重である。
平野の家 わざ 永々棟
Hiranonoie Waza Eieitou
大正から昭和に活躍した日本画家山下竹斎の邸宅兼アトリエとして,大正15年(1926)に建てられた木造の建物。近年,数寄屋大工による保存修理工事が行われ,現在は,茶道教室,いけばな教室,講演会,コンサートの会場として活用されている。
福田家
Fukudake
北区小山に建つ近代洋風住宅。敷地は角地にあり,煉瓦の門や塀,赤い屋根瓦,クリーム色の外壁が目を引き,両開きの窓やアーチ窓,半円アーチ玄関ポーチ廻の凝った模様などの意匠が特徴。区画整理事業により生まれた近代京都の新しい町に建つ近代洋風住宅である。
 藤井家
 Fujiike
北大路堀川の近くに建つ住宅で,昭和7年(1932)に建てられた。東棟と西棟がつながっているが,外観は1棟に見える。何度か増築しているが,間取りに大きな改変はなく,東棟西棟の1階2階それぞれに座敷がある。庭は石組で高低差をつけ,多様な植栽が植えられている。
藤本家
Fujimotoke
中川地域で最も古い民家の一つ。玄関脇には,中川地域では珍しいバッタリ床几が備えられる。周りにある苔むした路地,古い木造倉庫,石垣に埋め込まれた地蔵等と調和して美しい景観を醸し出している。
 船岡温泉
 Funaoka Onsen
地元だけでなく観光客にも人気の銭湯。大正12年(1923)に開業し,開業当初は,料理旅館船岡楼と,その附属施設として,船岡温泉,理髪店が建てられた。
new 牧野家
 Makinoke
大正時代に建てられた旧衣笠園の住宅で,前庭と中庭がある。牧野家は,昭和20年(1945)頃,甲子園の自宅が焼失したため,この地に戻った。
 松井家
 Matsuike
大正時代に建てられたと聞いている住宅。夏には襖から風が通り見た目も涼しい葦戸に交換し、また季節ごとに掛け軸を掛け替えて季節の変わりを楽しんでいる。
 松野家
 Matsunoke
約200年前に建築。40年程前の新聞に「典型的な武家屋敷」として取りあげられた。敷地内には,「茶屋四郎次郎邸跡」の石碑がある。
 松野醤油本店
 Matsunoshoyu-honten
創業は文化2年(1805)。醤油醸造場だけでなく,住まいも兼ねており,南面に庭を配し,天井を高くして,涼しく暮らせる工夫がされている。
 岐美家
 Michiyoshike
昭和初期の住宅建築。表門,洋館付きの主屋,離れ,土蔵からなる。主屋は庭に面して雁行して建てられ,南東角に洋館が繋がる。寺院建築の意匠を用いた大玄関,数寄屋風の座敷,鳥のレリーフ等が施された洋館の外観など,瀟洒であるとともに施主の趣味が感じられる。
椋本家
Mukumotoke
茅葺にトタンを被せた屋根の住宅で,明治期以前の築。付属の小屋は磨き丸太の加工と作業道具や薪などを保管するために使われてきた。住宅と小屋が良く調和して,北山地域の昔の生活様式や風情をよく残している。
 本野精吾自邸
 Motonoseigo-jitei
モダニズム建築の先駆として知られる本野精吾氏の自邸。中村鎮式コンクリートブロックを採用した本野氏作品の最初の住宅である。コンクリートブロックをむき出しにした外観や玄関,門に使用されている煉瓦が印象的である。
森勘商店倉庫
Morikanshoten-soko
昭和4年(1929)建築の2階建倉庫。1階の妻側は庇が大きく出ており磨き加工を行う作業場となっている。また,2階の天井はなく長尺の丸太を立てかけられるようにしている。風情のある景観になっている。
森久商店倉庫
Morikyushoten-soko
昭和11年(1936)建築の北山杉を磨き加工し,自然乾燥させ,販売まで保管する倉庫。周りの木造倉庫群と調和して美しい景観を作っており,磨き丸太生産の全盛時代を髣髴とさせる建物である。
山治林業倉庫
Yamajiringyo-soko
中川地域の2階建て倉庫の中で,最も棟が高く,大型の建物。内部は尺長の丸太を立てかけられるように多様な高さが確保されている。2階にはテラスが設けられ,磨き丸太の乾燥場として利用されてきた。
吉水庵 銅閣
Yoshimizu-an Copper Pavilion
法然上人御修行の庵から真直ぐな椿の天井と南天の床柱を切取ってできた茶室が 廃仏毀釈で旅館に伝わっていたのを、地元の大工左官の尽力で移築、茅葺屋根は 取り払い、数寄屋造の三層の楼閣の中層に据えた。
 和幸庵
 Wakoan
昭和28年(1953)以前に福徳銀行創設者が材木商から買い取った約190坪の邸宅で,能楽や茶道・華道などの伝統文化を楽しむ活動の拠点となってる。
 鷲田家
 Washidake
昭和11年,川嶋佐兵衛を棟梁として建てられた,木造2階建の数寄屋風住宅。中廊下を挟み接客空間と日常生活空間に分かれる平面形式で,通り側には洋風応接間も備える。玄関へのアプローチは,蹲居,織部灯籠,松のある茶趣あふれる庭。奥には6畳の茶室が建つ。
上京区 朝日玉姫鵺大明神社
Asahitamahimenuedaimyojinjya Shrine
平安時代末期の武将源頼政が鵺という怪鳥を射落とし,その射落とされた鵺を祀った神社。主税五ヶ町が協同で管理されており,社を中心に形成されている同町のコミュニティのあり方を後世に伝え残すことも含め大切である。
 石川家
 Ishikawake
腕木門を構えている町家。専用住宅として建築された昭和初期の様式を伝える貴重な建築物である。
 石﨑家
 Ishizakike
大正14年(1925),藤井厚二が設計した木造2階建ての住宅。保存状態が良く,藤井の住宅に対する設計思想を見ることができる。藤井厚二が設計した住宅で現存する数少ないもののひとつ。
 今原町家
 Imaharamachiya
住居兼組紐製作場として昭和4年(1929)に建築された表屋造の町家。内外に町家の特徴を残し,2階には洋館風の部屋が配されている。町家や生活文化の継承のため,住まいながら飲食店やイベントに活用されている。
 入江家
 Irieke
土間の吹抜け,オクドさんの残る台所,掘炬燵から見る庭が好き。正月に親族が集まり,茶室と座敷を開け放してお雑煮を食べる。親族にとっても大事な建物である。
 今宮神社御旅所
 Imamiya-jinja Shrine Otabisho
今宮祭で三基の御神輿を鎮座する御旅所。今宮祭は正暦5年(994)に始まった紫野御霊会を起源とする。現在の建物は,天明の大火(1788)で焼失した後,寛政期(1789~1801)に再建したもの。能舞台では昭和40年代まで今宮御旅能が奉納されていた。
岩上ホール
Iwagami-hall
昭和30年(1955)頃に建築。織工場を改装した落ち着いた木造の建物。どこか懐かしい外観が,石畳のまちなみとみごとに調和している。
上木家
Uekike
表の格子のたたずまいは,昭和初期の典型的な西陣の商家に見えるが,壁紙の裏紙に使われた新聞紙から明治期の建築とも推測される。以前は糸商として使われていた。
 太田家
 (旧太田喜二郎アトリエ)
 Otake(Kyu Otakijiro atorie)
大正13年(1924),洋画家太田喜二郎の住宅として建てられた。設計は藤井厚二。アトリエは太田自身の設計で,光の取り入れ方に画家のこだわりがうかがえる。居間やアトリエは建築当時のままである。
new 太田家
 Otake
西陣に位置し、明治時代から西陣織の織元で あった京町家である。近隣には首途(かどで)八幡宮、本隆寺があり、後鳥羽上皇の退位後の住まい五辻殿(院御所)から、五辻の通り名や町名が残っている。
織成館
Orinasukan
京都を代表する町家が現存する西陣大黒町の中心的な存在。店の間,前の坪庭,住居そして倉と,昭和初期の代表的な建物。
織成宿所
Orinasushukusho
昭和初期,織屋で財をなした渡邉文七が隠居仕事として,一町内全て借家を建て,借家町が誕生。その中の一つで,会員制の宿泊施設として使われている。
織成宿所 上七軒
Orinasushukusho Kamishichiken
日本のお茶屋発祥の地である上七軒で廃業されたバー形式のお茶屋さんを隠れ家的に使用。さすが上七軒と呼ばれるに相応しい貫禄がある。
 梶田家
 Kajitake
明治45年(1912)頃に建てられた表屋造の町家。正面に出格子を設け,揚げ見世を残し,2階は黒漆喰仕上げで虫籠窓を穿つ。表蔵と雑物蔵も残る洗練されたつくりの京町家。
梶田家隠居所
 Kajitake as a retreat
明治末期の建築と伝わる,瓦葺切妻2階建ての梶田家の離れ。特にお茶室は侘び寂びが感じられ,素晴らしい。
梶田家貸家
Kajitake house for rent
明治末期の建築と伝わる,瓦葺切妻2階建ての町家。虫籠窓や土間,火袋などは当時の姿を残してきれいに改修されている。
new 勝間家
 Katsumake
烏丸通沿いに建つ近代和風建築の住宅。昭和2年(1927)に建てられ,烏丸通に高塀と建物が並び,ミセニワ,ツボニワ,ザシキニワを持つ。座敷は書院造りだが,床柱に磨き丸太を使い,柔らかさを生んでいる。
カトリック西陣聖ヨゼフ教会
St. Joseph Roman Catholic Church Nishijin
アメリカ・メリノール宣教会の支援により創設された教会。木造切妻屋根の教会堂は宣教師建築家ウィリアム・ニーリーの設計で昭和24年(1949)に建築。3つのアーチを2本の円柱で支えるシンボリックなエントランスポーチや十字架や植物を模した飾り窓を設けている。
上七軒 長谷川
Kamishichiken Hasegawa
文政11年 (1828)に再興され,上七軒のお茶屋「長谷川」として明治中期から平成後期まで使われた建物。現在はお茶会や演奏会などのイベント,アートギャラリーとして使用されている。
 北村美術館四君子苑
 Kitamurabijyutukanshikunshien
数寄屋造の名工北村捨次郎により昭和19年(1944)に建築,進駐軍の接収後,住宅棟はモダニズム要素を含んだ近代の数寄屋として改築された。庭は多彩な石造品を配し,比叡山・如意ヶ岳を望めるなど趣向に富んだものとなっている。
京都YWCA サマリア館
The Kyoto YWCA Samariakan
ヴォーリズ設計により建てられた2階建て木造建築。当初はホステルとして利用された。温かみのある魅力的な建物を、地域の方々に親しまれ、人々が出会い交流する場として、大切に維持・活用したい。
光照院
Kosyoin Imperial Convent
長い歴史を持つ尼門跡寺院。延文元年,室町一条に創建され,応仁の乱の後,現在地へ移った。江戸時代,光格天皇から「常盤御所」の称号を賜った。
 最上稲荷
 Saijyoinari Shrine
大正15年(1926)に建造された,岡山県の最上稲荷さんの分院。町内の年中行事の中心であり,地元では「さいじょうさん」と呼ばれ,親しまれている。
 佐々木能衣装
 Sasaki Nouisho
能楽の装束を製作する工房。建物は昭和9年(1934)から11年(1936)に建てられた織屋建ての町家である。能楽界にとって重要な存在である。
 笹屋町一丁目町内会の町家
 Sasayachoichomechonaikainochoie
江戸時代に建てられた町家(ちょういえ)。地蔵盆では正面の平格子を外し,和室にお地蔵様を移してお祀りする。今後も大切に受け継いでいただきたい。
 篠屋の蔵
 Property of Sasaya
文政年間(1818~1830)に建てられたと思われる蔵。家業である西陣織に関する資料や調度品を収蔵し,代々受け継いできた。西陣織の伝統と共に残していきたい。
 澤井醤油本店
 Sawai shoyu-honten
明治12年(1879)創業の老舗醤油店。専門店向けから一般家庭にわたるまで愛用される醤油を製造し続けている。格子や虫籠窓が残る町家の建物。
三時知恩寺
Sanjichionji Imperial Convent
数少ない尼門跡寺院。どことなく優しい趣があり,襖絵や調度品など,皇女らしい雅な品々が保存されている。老朽化が進み,援助が必要である。
慈照院
Jishoin Temple
相国寺の塔頭で,桂宮家の学問所として建築された書院(棲碧軒),千宗旦によって作られた茶室(頤神室)や樹齢300年を超える陸船松と称されるクロマツが植わる枯山水式庭園が配されている。
水火天満宮
Suika-tenmangu Shrine
都の水害と火災を鎮めるため,醍醐天皇の勅願で,水火社天神天満宮として延長元年(923)に建立された日本最初の天満宮。昭和25年(1950),堀川道路拡幅の際に現在の地に移転した。
千本ゑんま堂・引接寺
Senbon enmadou・injyouji temple
ゑんま堂は,厨子虹梁絵様から17世紀に建立されたと考えられる。近年の火災で,屋根と天井を焼失するが,残された閻魔王とその脇侍をまつる厨子が他にはない迫力を見せる。境内には重要文化財の石造十重塔等の文化財がある。
 大 市
 Daiichi
元禄年間(江戸中期)創業のすっぽん料理店。330年前の建物がそのまま残り,玄関には刀傷や槍の痕がある。帳場の結界などもあり,志賀直哉の暗夜行路など多数の小説に登場している。
大根屋
Daikonya
京都の町並みを作っている格子を始め,種々な要素を多く持っている建物。外観を残しながら,西陣の工場として内部は織機が置けるように高い空間と柱の間は広くとられている。
大将軍八神社
Daishogun Hachijinja Shrine
北野天満宮の南に建つ神社で,本殿は昭和3年(1928)に建てられた。本殿と拝殿は一体となっており,背面に縋破風がつく。洗練された意匠で,特に錺金具は見事である。
 大聖寺
 Daishoji Imperial Convent
無相定円禅尼の遺言に従い,永徳2年(1382),足利義満が室町御所岡松殿を尼寺としたことにはじまる尼門跡寺院。数度の移転の後,現在の地に移ったのは元禄10年(1697)。境内の南には枯山水の庭園がある。建物,庭園,ともに非公開。
とり市
Toriichi
戦時中の昭和17年(1942)頃に建てられ,昭和32年(1957)に増改築された木造2階建ての店舗。表構えは妻入りで宮地米三の建築様式そのもの。書院造と民芸建築が融合した佇まいである。
 冨田屋 田中家
 Tondaya Tanakake
6つの坪庭,2つの井戸,3つの蔵から構成された町家。表屋造りには商売をしながら暮らす知恵が感じられる。住むための行事やしきたりをこなせるように作られている。
 西陣寺之内通の町家
 Nishijinteranouchidorinomachiya
織屋建ての町家。ホテルやマンションの建設が増え,失われつつある西陣の歴史的景観と地域文化を継承するために推薦する。
new 筈井家
 Hazuike
安土桃山時代の絵師 海北友松(かいほうゆうしょう)とその嫡子である海北友雪(かいほうゆうせつ)ゆかりの町家。江戸時代から明治時代まで,京都の禁裏で御用を務める絵師の家として存続した。現在の町家は明治時代に建てられた。
 バザール・カフェ
 Bazaar Cafe
大正8年(1919),キリスト教宣教師の住宅として建てられた。設計はヴォーリズで,現在はカフェである。オープンデッキのある庭,室内の暖炉など,建物と食事を楽しめる癒やしの場である。
 林家
 Hayashike
上七軒で最初とも伝わる茶屋「二見屋」を前身とする町家。2階座敷の吉原格子,書院造の表座敷,離れの茶室,中庭など,よく残っている。
be京都
be-kyoto
空き家から貸しギャラリー兼イベントスペースとして再生され,「美しい“美”の京都がここにある」という思いをこめ命名された。江戸期からの歴史を持つ京町家であり,隣接する寺院の山門と連続した良好な景観を形成している。
 宝鏡寺
 Hokyoji Imperial Convent
応安年間(1368~75)に,光厳天皇皇女 華林宮惠厳 禅尼が開山した尼門跡寺院で,人形寺の名で有名。春と秋に人形展が開かれ,年に一度,人形供養を行なっている。
法輪寺
Horinji Temple
だるま寺の名で親しまれているお寺。臨済宗妙心寺派で,享保12年(1727)に創建された。だるま堂には,奉納されただるま八千体余りが並んでいる。二月の節分には多くの参拝者で賑わう。
 萬亀楼
 Mankamero
享保7年(1722)に造り酒屋を創業。安永9年(1780)に茶店を営み料理を供するようになる。主屋は明治5年(1872)の建築。お部屋に生ける茶花は敷地内で育てている。
宮岡家
Miyaokake
外観に大幅な改変がなされていたものから,近年,復原工事が行われ,外観や火袋を復元するなど内装に関しても,京町家としての風情を取り戻した。間口5間の大きさから地域の景観に寄与している。
文殊院
Monjyuin Temple
承応3年(1654)に伊勢暦の暦師だった浅井長政の末裔が,京都に移建した真言宗醍醐派の寺院。蔀戸が連なる本堂や庫裏は築150年以上と推定される。風格のある門構えや松の緑の外観,地域の集まりにも使われる庫裏が,地元の人々に親しまれている。
 薬師町町家
 Yakushicho-machiya
建物は明治初期のもの。オリジナルのステンドガラスなどが施されてる。坪庭や中庭は,昼はやわらかい光に包まれ,夜は優美で厳かな雰囲気と違った表情が見られる。
new 矢田家(華笑庵)
Yadake(Kasyoan)
大正の終わりから昭和初期に建てられた京町家である。西陣に位置し、かつては織物関係の仕事場としても使用されていた。2階の表側に10畳の広い座敷があり、店の間と密接した営業を行うための動線を確保することに重きを置いた平面構成となっている。
 山本家(仁風庵)
 Yamamotoke(Jinpuan)
昭和15年(1940)頃に建てられた近代和風住宅。施主の山本仁三郎は,岐阜で白生地商を営み,大正9年(1920),京都に店舗を構えた。
矢守家
Yamorike
昭和初期に建てられた高塀のある本二階の町家。鴨川で採取された亀石を使用した中庭(坪庭)や裏庭の残る佇まいを残したい。
 有斐斎 弘道館
 Yuhisai Kodokan
江戸中後期の京都を代表する儒者,皆川淇園が創立した学問所「弘道館」の址地とされる敷地に建てられた数寄屋建築。庭は南北にあり,茶庭として使われている。
 湯本家
 Yumotoke
明治期の建築と推定される平家建ての木造建物である。歴史学者湯本文彦が終の住家としたことから,同人に関する研究資料等が多く残されている。
 横山家
 Yokoyamake
西陣に建つ大型の京町家で,明治時代に建てられたと伝わる。建築当時の姿をよく残しており,景観に重要な役割を果たしている。内部の保存状態もよく,火袋の小屋組みも美しい。
吉田家
Yoshidake
大正期は生糸問屋,戦後は医院,現在は設計事務所と,商いの形を変えながら引継がれている町家。地域の方の思い出の中でも生きている。
若山家
Wakayamake
間口が広く表蔵があり,虫籠窓,柱横には格式ある家のみ付けるものとの言い伝えがある「笄(こうがい)」が取り付けてある。氏神の祭禮には家を開放して町内の祭道具の飾り場所となるなど風格が感じられる。
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