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京見峠茶家(きょうみとうげちゃや)[Kyomitoge-chaya]

所在地
 北区
選定番号
 第8−030号

推薦理由(抜粋)
 昭和30年(1955)頃に開業された茶家で,わらび餅,草餅,ぜんざいなどが名物だった。小浜と京都を結ぶ西の鯖街道沿いに建っており,江戸時代には旅籠として使われていた。室内には,おくどさん,古文書,民芸品など貴重な品々が残っている。



認定番号
 第219号

認定理由
 鷹峯街道は鷹峯と若狭方面を結ぶ街道の峠にあたる堂ノ庭地区に位置する。尾根部分にほぼ南北に通る街道沿いに建ち、敷地西側は谷への斜面となっている。家伝によれば創業が享保年間に遡る旅籠で、峠を行く旅人に提灯を商ったため、「ちょうちんや」と呼ばれたとされるが詳細は不明である。同建物に残る四国霊場巡礼の際の「嘉永庚戊」(嘉永3年=1850)の奉納経に「葛野郡堂ノ庭住人 若狭屋与助」と記名があるのが最も時代の遡る資料である。以降、明治33年(1900)、大正3年(1914)時の同様の資料が残る。明治以降農業や林業を営んでいたとされ、昭和42年(1967)頃に、長らく活用されていなかったミセ空間を用いて、京見峠茶家として茶屋の営業を始めた。茶屋は平成26年に閉店している。
 街道に面した敷地には主屋と土蔵が建つ。主屋は間口8間、奥行4間半の平屋建、瓦葺の建物である。通りに面して庇を差し掛けて深い軒を設け、平格子と出格子による町家風の外観である。大戸を潜ると、広い土間と4室の畳敷居室空間となる。土間の表側の一部を板床としたり、自然石を用いたテーブル式の囲炉裏を設けるなど、昭和40年代の改修が一部に見られる。4穴の漆喰仕上げのカマドに、モザイクタイル貼りの改良カマドが増築されている。土間境の上り縁側面の板には大正14年(1925)の墨書が残る。床上の居室4室のうち、奥側の背面が8畳のブツマで、床と仏壇が配されて、磨き丸太の床柱が用いられる。主屋の下手には水まわりの増築部分があり、さらに下手には通りに面して2階建ての土蔵が接続している。土蔵の天井には棟札が残り、明治4年(1871)上棟の記載がある。主屋の建築年代に関する資料はないものの、建物の部材などから土蔵の建った明治初期に建築年代が遡る可能性が考えられる。以降も土間境の上り縁部分の墨書に見られるように、いくつかの時期に改修が加えられているものと推測される。
 京見峠茶家は、明治初期に遡る可能性が考えられる峠の茶屋の建物で、各時代に手を加えられながらも往時の面影を現在に伝えている。京都市内では同様の事例は見られず、極めて重要である。



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