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京都の財産として残したい建物や庭園“京都を彩る建物や庭園”の発表について
「写真をクリックすると建物や庭園の個別紹介ページが開きます。」

北区 上京区 左京区 中京区 東山区 山科区 下京区 南区 右京区 西京区 伏見区
選定リスト(公表に同意いただいているもの)
(行政区別 五十音順)
所在地 名 称 推薦理由(抜粋)
左京区  青山家
 Aoyamake
京都大学名誉教授である青山秀夫とその教え子達の思い出の建物と庭。庭の池には川から水が流れ込み,建物と共に風流で歴史的な面持ちがある。
 an cafe
 an cafe
北白川の町家。内部は土間やおくどさんも残され,畳のある昔ながらの住まいの体験の場として今後も残されていって欲しい。
 井口家
 Iguchike
大正15年(1926),京都パラダイス跡の分譲地に建てられた洋館の住宅。この地域には珍しい洋館で,現在も素敵な姿を見せている。
池田家
 Ikedake
明治中期に建てられたと思われる木造中二階の民家。屋号は「定右衛門」。敷地の三角形になっている部分を利用して,座敷周りの庭をうまく配置している。かつては七竃(ナナカマド)があり,7番目のカマドで炊いたご飯が懐かしい。
井ノ口畳店
Inokuchi-tatamiten
創業明治3年(1870)の畳店である。昭和2年の建物で虫籠窓が残る間口の大きい町家である。通りからはイグサの香りとともに畳作りの作業が間近に見え,風格のある看板も相まって歴史を感じさせ,風情を醸し出している。
new 岩﨑家
 Iwasakike
主屋、蔵、付属屋のある農家住宅。主屋は切妻平入りのつし2階建てで、虫籠窓と煙出しを持ち、漆喰壁や瓦屋根は美しく改修されている。遠景の緑豊かな山や前面の水路と一体となった姿は、美しい前庭とともに、地域の歴史・文化を伝える。
 上田恒次家
 Ueda Tsunezike
陶芸家の上田恒次が設計した自邸。昭和12年(1937)に陶房を建て,昭和17年(1942)ごろ住居部分を増築。豪壮な意匠は丹波地方の民家を参考にしたと伝わる。登り窯は主屋と同時期に築かれ,現在も残っている。民藝運動の場となった陶芸家の製作と生活の空間が今に伝わる稀有な空間である。
内田家
Uchidake
北白川の志賀越道に建つ住宅。白川石,花の栽培などの産業で栄えた歴史と文化のある地域である。表に蔵を構え,表側の深い庇,街道から控えた部分に建つ主屋は,北白川の重要な住宅のひとつと考えられる。
内田家
Uchidake
北白川の志賀越道に建つ住宅で,街道から控えて建てられる。道に面した庭は,石工の作業や,花売りの場として使われたようである。石工,白川女,街道をゆく人々など,にぎわっていた頃を伝える北白川の重要な住宅である。
永楽庵
Eirakuan
大正天皇の皇后が発注された茶室正副二棟のうち,副棟が彦根の西田邸に払い下げられ,昭和25年頃にこの地に移されたものと伝わる。庭は茶室や離れ等の移築を指揮した当主の父の設計で,建築群と一体で高野川河畔の景観を形成している。
夷川発電所
Ebisugawa Hydropower Plant
琵琶湖疏水の水を利用する発電所。大正3年(1914)完成した建物は煉瓦造平屋建てで,小規模な建物ながら,窓のアーチや入口両脇の装飾など,丁寧にデザインされている
大槻家
Ootsukike
志賀越道沿いに建つ町家で,間口4間半の主屋と2つの蔵,庭,離れからなる。漆喰で塗りこめた軒裏の意匠は,北白川界隈の度重なる火災を受けて防火性にも配慮したものか。同家は現当主の父の代まで白川石を扱う石工で,石工業で賑わった界隈の面影を伝える。
 大野家
 Ohnoke
本二階建て,瓦葺きで,高塀を持つ大正末期から昭和初期の建物である。京都パラダイス遊園地の跡地であるこの界隈は,同時代に建てられた建物が多く残り,通りの景観は往時の様子を留めている。
大野家
Ohnoke
明治期に建てられた木造洋館建ての表屋を持つ建物で,奥には和館が建つ。著名な画家のアトリエとして活用されていたという伝承もあり,岡崎エリアの近代化の歴史を伝える重要な景観要素の一つである。
 小川家
 Ogawake
左京区鹿ヶ谷に建つ2階建ての近代洋風住宅。大正11年(1922)に建てられた。設計は武田五一。わが国の鉄筋コンクリート造住宅のさきがけである。 武田五一が設計した数少ない現存する住宅として貴重である。
 小川家別邸
 Ogawake bettei
小川為次郎の妻小川むらが,為次郎の死後,ひとりで住むために建てられた木造平屋の住宅。息子小川睦之介(ちかのすけ)が住む鹿ヶ谷に近い白川の地に昭和9年(1934)に建てられた。設計は藤井厚二,大工は北村伝兵衛など,小川むらが一流の人を集めた。
大八木家
Oyagike
大正の末期に建てられ約90年の歴史がある。庭園と茶室は当時のままで,茶室から見る庭園の枝垂れ桜は一幅の絵のようである。
new カトリック高野教会
 Catholic Takano Church
アメリカ・メリノール宣教会の支援により昭和13年(1938)に創設された教会。伝道館と尖塔状の鐘楼がひときわ目立つ聖堂は昭和23年(1948)に建築。円柱が2本建つエントランスや,左右対称なファサード,ドイツ壁の外壁や飾り窓などは,宣教師建築家ウィリアム・ニーリーによって手掛けられたもの。
 cafe APIED(旧ますや)
 Cafe APIED(Kyu masuya)
明治後期の頃,旅館「ますや」として建てられた。昭和の末に旅館は廃業したが,数年前に改修し,現在は春と秋限定でカフェ兼ギャラリーとして活用されている。
鎰富弘
Kagitomihiro
銀閣寺の近くに建つ元そば屋の建物。白川通と今出川通の交差点から,銀閣寺に向かって疏水沿いに歩くと左手に見える,外観に特徴のある建物。
 川端彌之助のアトリエ
 Kawabata Yanosuke's
 Atelier
洋画家である川端彌之助(1893~1981)のアトリエとして大正14年(1925)に建築。愛用のイーゼルや書籍がそのまま残され,当時の様子を今に伝えている。
 杜若家
 Kakitsubatake
約280年の歴史を刻む茅葺の民家。建物南側の庭には,第55代文徳天皇の第一皇子,惟喬親王のお手植えと伝えられている杜若が咲いている。
 関西美術院
 Kansai Bijyutsuin
明治時代に西洋画の私塾として画家浅井忠により設立された関西美術院。明治39年(1906)建築で、設計は武田五一。アトリエの採光として理想的な北側に大きな窓を持ち、屋根は片流れの銅板葺き。現在も常時20余名が洋画の研鑽に励んでいる。
 北白川天神宮
 Kitashirakawa-tenjingu Shrine
境内は志賀越道沿いの山の中で,本殿と拝殿は山頂付近に建つ。参道は白川に架かる石橋を渡り,山頂へと続く。石橋は白川の石工が手がけたもの。鬱蒼とした森を貫く階段は苔むしており,厳かな雰囲気を漂わせている。
 北白川天神宮御旅所
 Kitashirakawa-tenjingu Shrine
 Otabisho
北白川天神宮の斜め向かいに建つ。志賀越道に面して広場があり,奥に建物が建つ。建物の外壁や軒裏は漆喰となっている。この地域は,幾度も大きな火災があったため,火災に強い建物になったと伝わる。
北山荘
Kitayamaso
昭和17年(1942)に府立京都第一中学校山岳部部員らによって建てられた山小屋。戦後,同中学校が鴨沂高校・洛北高校に分散編成替えされ,その山岳部のOB会が維持管理に務め,山を愛する多くの人々の憩いの場となっている。
城守家
Kiromorike
昭和14年(1939)に城守保養所新館として建てられた。精神病患者が滞在した部屋は床の間付の座敷で,庭にも自由に出られた。岩倉には家族の付き添いなしに預かった歴史があり,「地域において精神障害者を看護する」ことにヒントを与えてくれる。
京都大原 夢玄庵
Kyoto Oohara Mugenan
築160年以上になると伝わる土蔵。明治維新の際,新撰組に追われた勤皇の士,藤村紫朗を傷が癒えるまで匿ったという逸話が残る。
京都民芸資料館
Kyoto Hall of Fork Craft
明治期に滋賀県日野町に建てられた土蔵を,昭和56年(1981)に移築したもの。移築時の増築部分は陶芸家・上田恒次によるデザイン。京都の民芸の拠点となっている。
 去風洞
Kyofudo
花道の家元「去風流」は,元禄14年(1701),流祖「去風」により始められた。現在の「去風洞」は大正末期に7世「一草亭」が自宅兼教場として建築し,夏目漱石や九条武子ら近代知識人と生花を通して豊かな交流が展開された。
 旧喜多家
 Kyu Kitake
工業化学の研究者で京都帝国大学教授の喜多源逸のために藤井厚二が設計した住宅。当時,藤井は京都帝国大学で建築を教えていた。大正15年(1926),藤井の第4回実験住宅の竣工後に設計された。外観は,屋根,軒,庇がリズミカルな表情を造っている。室内は明るすぎず,落ち着いた雰囲気である。
 旧重森三玲邸
(招喜庵・重森三玲庭園美術館)
 Kyu Shigemori Mirei residence(Shoki-an,Shigemori Mirei Garden Museum)
江戸期に建てられた吉田神社の社家の邸宅。昭和18年(1943)に,庭園家の重森三玲が譲り受け,庭園や茶室を設けた。書院前の枯山水庭園が印象的である。
 旧建部歯科医院
 Kyu Takebe dental clinic
昭和28年(1953)に建てられた増田友也設計による鉄筋コンクリート造の診療所兼住宅。  増田友也初期の設計で,小規模ながらモダニズムの合理性と増田の感性が融合しており,竣工当時の形態が良く保存されている。
 楠部家
 Kusubeke
陶芸家・楠部彌弌の居宅兼陶房。以前の粟田口の居宅の部材を一部に用い,昭和13年(1938)に建てられた。ろくろ場も残り,往時の製作の様子を伝える。
 熊野神社
 Kumano-jinjya Shrine
京都三熊野の最古社で、聖護院の守護神として、地域住民から「権現さん」とも呼ばれ親しまれている。鳥居を配した参道正面から拝殿が見え、奥に本殿、その東側に祖霊殿が建ち並び、境内の豊かな緑と一体となって落ち着いた一角を形成している。
 鞍馬駅
 Kuramaeki
開業当時からの建物で,重層な入母屋形式の和風屋根が背景の山並みに溶け込む風景は,清々しく感じる。また,白壁も印象的で待合室には古典的な趣のある照明があるなど,木造の温もりが感じられる。
栗原家
Kuriharake
大正期に建てられたと思われる近代数寄屋。座敷を中心とした間取りから,居宅ではなく,接客のために建てられたと考えられる。
蹴上発電所
Keage Hydropower Plant
日本初の一般供給水力発電所。琵琶湖疏水の水を利用している。蹴上のランドマークである赤煉瓦の建物は明治45年(1912)に建てられた。貴重な近代化遺産である。
 ケーブル八瀬駅
 Cable-Yaseeki
洛北の開発と比叡山への登山を目的として,大正14年(1925)に開業した。かつて,西塔橋駅と呼ばれていたこの駅舎には,鉄骨トラス造や妻飾りなど開業当初の意匠が残っており貴重である。
 ケルガード家
 Kjelgaardke
左京区花背原地町に大型林業家の住まいとして明治37年(1904)に建てられた。杉や桧を多用しており,建築当初の姿がよく保存されている。現在は外国人向けの宿泊施設として活用されている。北部山間地域の大型林業家の様相を伝える貴重な建物である。
好日居
Koujitsukyo
遊園地・京都パラダイスの跡地に昭和初期に建てられた住宅建築。玄関脇にドイツ壁に縦長窓をはめた洋風応接室がつくられている。
小林家(旧古川家)
Kobayashike(Kyu Furukawake)
北白川の疏水沿いに建つ鉄筋コンクリート造2階建の住宅。昭和31年(1956)に建てられた。設計は増田友也で,コンクリート打ち放しが特徴である。
 駒井家
 Komaike
昭和2年(1927)に建てられた,米国人建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の住宅。建物はスパニッシュ様式で,赤茶色の瓦屋根とスタッコ壁が用いられ,アーチ型の窓,テラス,パーゴラが外観に彩りを添えている。
西雲院
Saiunin Temple
金戒光明寺の塔頭。元和2年(1616)に,宗厳が,金戒光明寺より法然ゆかりの「紫雲石」を贈られ,この地に開創したのが始まりといわれる。「紫雲石」をお護りする紫雲石堂は,延宝8年(1680)の再建。
斉藤家
Saitoke
2階建ての町家で,10年程前に改修され,店舗となっている。通りから窓越しに窺える店内には,オリジナルデザインの洋服や古布の小物等が置かれている。法然院の周辺の落ち着いた雰囲気の中で,両隣の町家と一体となって町並みを形作っている。
実光院契心園
Jikkoin Keishinen
江戸時代後期に作庭された庭園。築山の松は鶴を,池の島は亀を表現している。春夏秋冬,四季折々の表情を客殿から眺めることができる。
 十一屋 岡村家
 Juichiya Okamurake
十一屋は近年まで鯰料理の専門店として営業。建物は新田街道(今は,鯖街道と命名)に面しており,旧街道のランドマーク的な存在。
 正願寺
 Shoganji Temple
浅井了意が住職を務めた寺で,本堂は江戸後期の建物。街中の狭い敷地に建ち,真宗大谷派の本堂として独特な建築形式。長屋門を持つことも興味深い。
 聖護院
 Shogoin Temple
寛治4年(1090)白河上皇の勅により創建。天明の大火の際,光格天皇の仮御所となった。狩野派の障壁画,重要文化財の書院,庭の砂紋など目を引きつける。
聖護院八ツ橋総本店 本店
Shogoin Yatsuhashi Sohonten Honten
元禄2年(1689)にこの地で創業した。近世筝曲の開祖といわれる八橋検校が葬られた黒谷金戒光明寺の参道に茶店を設け,検校の遺徳を偲び,琴の形を象った干菓子を「八ッ橋」と名付け販売したのが始まりと言われている。明治には多くの文豪が訪れた。
 白河院
 Shirakawain
呉服業を営んでいた下村忠兵衛の別邸として,大正8年(1919)に竣工した。庭園は,7代目小川治兵衛によって手掛けられたもの。武田五一が設計した和館や表門が残る。
 真澄寺別院 流響院
 Shinchoji Temple
 Betsuin ryukyoin
大正2年(1913)に竣工。数寄屋建築と露地や表庭,芝庭などの複数の要素が組み込まれた自然感ある庭園は,近代別荘庭園の特徴を良く表している。
菅原家
Sugaharake
明治時代に火事にあった後に,再建された民家。梁の見える火袋やおくどさんをこのままの形で残していきたい。
 栖賢寺
 Seikenji Temple
南北朝時代に尼崎で開山,昭和7年(1932)に現在の地に移転した禅宗寺院。実業家山口玄洞が寄進し,元京都府技師安井楢次郎の設計による近代和風の寺院である。本堂,観音堂,鳳凰閣,鐘楼,茶室などが建つ。中世の寺院に範をとった意匠である。
園頼三旧宅
Sonoraizo kyutaku
美学者 園頼三(同志社大学教授)の旧宅。洋館と和館は大正時代に建てられ,大きな改変はされていない。現在は頼三の直系の子孫が大切に住んでおられる。
 竹中家
Takenakake
「水車の竹中」と呼ばれ,地域のランドマーク的存在の精麦工場であった。母屋と工場の一部と石組の水路が残る。前の小路とともに白川の景観をつくる。
 太平治家
 Tahejike
「太平治」を屋号とする石工の歴史を持つ建物。天保元年(1830)の地震後に再建されたと考えられる主屋奥には,江戸末期や明治初期の大火を免れたと伝わる二つの蔵がある。
 玉川家
 Tamagawake
蔵には5月に行われる八瀬祭の衣装を収める。祭の役を引き受けるためには,道具だけでなく神棚などの空間が必要で,大事に引き継いでいる。主屋は明治6年(1873)に亡くなった当時の主人が建てたと伝わる。水田越しに見える白壁は見事である。
 頂妙寺
Chomyoji Temple
千葉中山法華経寺の僧である日祝上人が文明5年(1473)に開創した寺院。現在の堂宇は,天明の大火(1788)以後の建立。通り名「仁王門通」は,頂妙寺の仁王門を由来としている。
 南禅寺 順正
 Nanzenji Jynsei
天保10年(1839)に蘭学医として著名な新宮涼庭によって開設された医学校のあった地である。敷地中央の書院や石門は,往事そのままに残る貴重な建物で,庭園も昔の様相をよく留めている。
 西川家
 Nishikawake
大正期の遊園地 京都パラダイスの跡地に,昭和2年(1927)に建てられた住宅。別邸として建てられ,後に本邸となった。仏間は数寄屋風,応接室は和洋折衷で,数寄屋風の近代和風住宅に洋風意匠が加えられている。
二之部家
Ninobeke
大工で工芸作家でもある大濱浄竿(じょうかん)が昭和43年(1968),25歳の頃に建てたと伝わる住宅。彼が日本で建てた2軒のうちの1軒で,独特な室内空間を持つ。彼の工芸作品数点はブルックリン美術館に収蔵されている。
new 日本基督教団 京北教会
The United Church of Christ in Japan Kyohoku Church
建物は昭和16年(1941)に建設されたものであるが、教会創立は明治42年(1909)で100年以上の歴史がある。簡素であたたかい雰囲気の 堂内と美しい外観を持つ。
野仏庵
Nobotoke-an
数寄者上田堪庵が由緒ある住宅や茶室を移築したもので,移築の際に堪庵の好みに改修されている。淀から移築した主屋,茶室「雨月」,「陶庵」,「堪庵」,「幽扉亭」など,多くの建物が並んでいる。
 服部家
 Hattorike
火袋やむしこ窓などの趣が残っている建物。主屋は、表側と南側(裏側)にそれぞれザシキがあり、農家住宅の特徴を持つ。離れは、昭和天皇の御大礼に合わせて増築された。
早川家
Hayakawake
昭和7年(1932)に建てられた木造2階建ての住宅。  土壁,しっくい壁,木製建具,畳など,自然素材の集合体で,心身ともに元気で穏やかに過ごすことができ,静かな感動を味わうことができる。京都の気候風土にあったすばらしい住環境である。
平井常榮堂
Hrai Joeido
元禄14年(1701)に創業し,代々医師と薬の処方を兼業されていて,明治に入って和漢薬専門店となった。通りに面して間口が広く,虫籠窓のある歴史を感じさせる佇まいで,引き戸を開けると,薬草の香りが鼻をくすぐる。
 瓢 亭
 Hyotei
400年余り前,小さな腰掛茶屋として開業し,天保8年(1837)から料理屋に。建物はくずやと呼ばれる茅葺き屋根の座敷で,庭園は植熊作。
 平安神宮
 Heianjingu-Shrine
平安遷都1100年を記念して明治28年(1895)に第50代桓武天皇をご祭神として創建された。朱塗りの柱は雅やかさが感じられる。昭和3年(1928)に昭和天皇大礼を記念して建てられた鳥居の下を車が通るのも珍しい。
宝泉院
Hosenin Temple
勝林院の僧坊として長和2年(1013)に創建された。書院は江戸中期頃に建てられたもの。廊下の天井は伏見城の遺構で,血天井と呼ばれている。方丈と庫裏まわりの庭園,水琴窟,京都市登録天然記念物の五葉松が見どころである。
 法輪院
 Hourinin
真正極楽寺(通称:真如堂)の塔頭寺院。仏間には,檀家でもあった画家の猪飼嘯谷(いかいしょうこく)の描いた26面の襖絵などもあり,それら什物を後世に守り伝えていきたい。
本家西尾八ツ橋別邸
Honkenishioyatsuhashi-
bettei
創業は元禄2年(1689)。家屋は築約100年。数寄屋建築の座敷・茶室がそのまま残っている。庭は四季折々の顔を見せてくれる。
 松田家
 Matsudake
彫刻家 松田尚之のアトリエ兼自邸。松田自身が設計し,昭和11年(1936)に建てられた。  天井の高いアトリエは,死の2週間前まで弟子とともに厳しい研鑽を重ねた場で,現在も往時の雰囲気を残し,音楽ホールやピアノ教室の場として活用されている。
new 松乃鰻寮
 Matsunomanryo
上田恒次に設計を依頼し,昭和40年(1965),上田氏自邸の隣に木造2階建てを建てたのが始まり。増築され,城を思わせる豪壮な店舗が完成した。
new 松本家
Matsumotoke
棟に煙出し、両妻に卯建が残る。街道に面する玄関の北側の格子戸は、鞍馬火祭の際には開放され、鎧などが飾られる。南側は近年駐車場として改修されたが、木製の引戸により景観への配慮が伺える。鞍馬の歴史・文化を伝える建物である。
三上家
Mikamike
北白川の志賀越道に建つ住宅。近くの北白川天神宮,隣の北白川天神宮御旅所とならび,この地域の景観を形成する建物のひとつである。
美濃店 竹茂楼
Minokichi-honten Takeshigero
江戸時代後期に京都所司代から「川魚生洲八軒」の一つとして許可を受けたことに始まる料亭。別館は昭和42年(1967)から44年(1969)にかけて富山県の越中五箇山から移築した合掌造りの建物。
妙伝寺
Myodenji Temple
江戸時代初期,覚法妙伝和尚の開創によるものとされている。如意輪観音菩薩が安置された八瀬童子の菩提寺である。毎月執り行う念仏講では後醍醐天皇,近衛基熙,秋元喬知の他,歴代の八瀬恩人を供養している。
 妙傳寺
 Myodenji Temple
日蓮宗京都八本山の一つ。日蓮上人の御分骨が納められており、西の身延とも呼ばれる寺院。宝永5年(1708)の大火によりこの地に再興された。
 茂庵
 Moan
吉田山山頂付近に営まれた実業家・谷川茂次郎の茶苑に由来する。大正期に建てられた木造2階建ての食堂や2棟の茶室が残る。
八瀬かまぶろ
Yasekamaburo
申の乱で大海人皇子が背中に矢を受け,かまぶろで傷を癒した伝説が八瀬の地名の由来と言われる。かまぶろは外側が土壁,内側が石組で,保温性に優れた造り。江戸時代の16基が,1基のみ現存。見た目にも愛嬌があり,人々からも親しまれている。
八瀬かまぶろ温泉ふるさと
Yase Kamaburo Onsen Furusato
昭和29年(1954)開業の旅館。八瀬遊園(1964-2001)開業に伴い,昭和36年(1961)に現在の地に新築移転した。3階建ての本館の設計は,民藝建築家 宮地米三で,黒い古色の材と白い壁が美しく,堂々とした洋風山荘の雰囲気もある。
 八瀬天満宮社
 Yasetemmangusha
周囲を巨木に囲まれた八瀬天満宮社は,菅原道真の死後,師である法性房尊意僧正の勧請により建立されたと伝わる。赦免地踊りでは,女装した男性が切子燈籠を頭に載せ,境内の秋元神社に向かう行列が見られる。
八瀬童子会宝庫
Yasedojikai Hoko
八瀬童子は,皇族・公家等ともつながりが深く,明治以降は政府から天皇大礼・大喪の駕輿丁に任じられた。綸旨や京都所司代の下知状等の八瀬童子会が所蔵する資料は,一部は重要文化財に指定されており,保管していた本倉庫は八瀬の宝と言える。
 八瀬比叡山口駅
 Yasehieizanguchieki
古風な印象を見せる駅舎は,開業時から形を変えず約90年間にわたり利用者を見送ってきた。ホームを覆う木造屋根が魅力的であり,波型の軒飾りはホームのアクセントとなっている。
八千代
Yachiyo
南禅寺参道に面した純和風旅館。100年以上経った草庵茶室に依った建物は,簡素枯淡な趣を持つ。敷地の3分の1を占める庭園は,植冶(小川治兵衛)の作庭で四季折々の風情が楽しめ,静寂な時へと誘う。
山内家
Yamauchike
明治時代に旅籠として建築された町家。昭和初期から戦後には,日本画家も集い,昭和50年頃には,京都大学の留学生が多く暮らした。
 山内家
 Yamauchike
昭和16年(1941)頃建築の住宅。前庭、数寄屋風の玄関や供待、座敷の庭園などがそのまま残っている。受け継いだ住宅を次の時代にも伝えていきたい。
new 山口書店
 Yamaguchi-shoten
山口書店の創業者・山口繁太郎の居宅で,現在は社屋となっている。新棟は山口が同郷で交流のあった版画家・棟方志功の滞在用に,戦前の建物を昭和30年代に改修したもの。
ヤマチカ
Yamachika
大正期に斜面地に開発された住宅地内の2階建て,入母屋造りの住宅。道路からは平屋のように見える。
 山ばな平八茶屋
 Yamabanaheihachijaya
約200年以上経つ母屋は商家造りで,庭は昭和初期の造り。陰陽を配置した庭は,四季折々の花がその庭を満たし,季節を存分に感じることが出来る。
 山本家
 Yamamotoke
大正期から昭和期の英文学者で,京都大学名誉教授,山本修二の旧宅。所有者は建物に愛着を持っており,地域の彩りとして残って欲しい。
 山本家
 Yamamotoke
先祖から受け継がれてきた町家。明治から昭和にかけて料亭として,その後は住居として使われた。京都らしい街並みとして残していきたい。
 湯川秀樹旧宅
 Yukawa Hideki-kyutaku
晩年までこよなく庭を愛でた湯川秀樹(1907~1981年)が,昭和24年(1949)に日本人初のノーベル物理学賞を受賞し,最期まで過ごした場所。
雍州路
Youshuji
昭和43年(1968)に民藝建築家 宮地米三の設計で建てられた精進料理店。店内には,重厚かつ機能的な宮地米三の民藝デザインが随所に見られる。
 吉田山荘
 Yoshidasanso
昭和7年(1932)東伏見宮家別邸として建造。重厚感あふれる総桧造りと裏菊紋の格調が織なす和と洋が融合した料理旅館。京都の四季を感じられる庭園を眺めることができる。
 吉村家(松雲荘)
 Yoshimurake(Shouunso)
眺望を活かした続き和室と洋風に仕上げられた家族室・食堂がある木造2階建ての住宅である。伝統建築を継承しつつ生活の洋風化を試み,住宅改良運動の傾向と郊外に住宅地が形成され始めた昭和初期の傾向も読み取ることが出来る建物である。
洛 翠
Rakusui
明治末期に7代目小川治兵衛が作庭。庭園内には琵琶湖を模した池があり,周囲には280年前に中国から伝来したとされる画仙堂や茶室「渓猿亭」がある。
 霊鑑寺
 Reikanji Temple
書院,本堂の南面に広がる池泉鑑賞式の庭園は,東山連峰の大文字山より西に延びる稜線を利用して造られている。椿の季節には,散椿,日光,紅八重侘助など銘種約30種の花が庭園をうずめている。
瑠璃光院
Rurikoin Temple
八瀬の広大な敷地につくられた数寄屋建築と庭園。大正末から昭和の初めにかけて,広大な敷地に数奇屋造りの建物を建て,背景の山林を借景とした庭園がつくられた。建物は中村外二の作と伝えられている。紅葉が美しく,多くの観光客が集まる。
new 渡邉家
 Watanabeke
江戸時代に遡るとされる主屋,北の蔵,乾蔵が残る。明和4年(1767)に起きた「源太騒動」は主屋の玄関前が舞台となったと伝わる。
 和中庵
 Wachuan
昭和3年(1928)に近江五箇荘出身の藤井彦四郎の本邸として建設された。洋館・客殿・茶室が残る。高低差のある広大な庭園は,自然の河川を取り入れたもの。
中京区  青木家
 Aokike
暖炉やステンドグラスのある洋館が通りに面する,和洋折衷の町家である。高塀を巡らせた外観は新旧が調和する界隈の街なみ整備の模範となっている。
雨森敬太郎薬房
Amemorikeitarou-yakubo
江戸時代から続く伝承薬「無二膏」の老舗店である。風格ある庵看板を備え,黒壁に虫籠窓を持った意匠は,京都の薬種業としての歴史を伝えるとともに,地域の景観を形成している。
 荒木家
 Arakike
荒木家の屋敷が禁門の変で焼失したため建てられた住居。京都を破壊から守るため,当時のつくりを残しているこの家を後世に残したく推薦する。
姉小路高倉の2軒長屋
Aneyakoujitakakura-2kennagaya
木造総二階の2軒長屋。出格子,尾垂れが特徴的で,共にかかる簾も含め,往時の景観を伝えている。1戸は飲食店として使用されており,誰でも町家を感じられる建物となっている。
市古家
Ichikoke
正面に掲げる「山泉」の看板は,ソニー創立者の生家である盛田合資会社の商標で,隣の「まるほ」醤油の看板と同じく,昭和12年(1936)製で初代店主の独立時に贈られたものである。近年の改修で側面を焼杉板貼りとし,落ち着いた雰囲気造りに工夫された。
 井ノ口家
 Inokuchike
井ノ口家は、戦後まで「近江屋」もしくは「井ノ口屋」の屋号を名乗り、絞り加工業を営んでいた。建物は、明治5年(1872)に建築された。北観音山の山鉾町に位置し、宵山時には屏風飾りを行い、往来の人々が格子越しに装飾品を眺める。
井山家
Iyamake
元は生糸問屋をされていた現在の建物は,元治元年(1864)の京焼後に即復興されたもので,一部改修されているが,駒寄・出格子等は原形を留めている。蔵から見出だされた町式目は,平成版「姉小路界隈町式目」としてまちづくりの基本理念となっている。
 岩﨑家
 Iwasakike
明治初期建築の伝統的な木造住宅。厨子2階建てで,出格子,虫籠窓が意匠を彩り,加敷造の軒裏からも歴史を感じる。庭は「花の庭」で四季折々の花が楽しめる。
岩野家
Iwanoke
牛乳販売をされていた時の大型冷蔵庫とブルーの3枚のシャッターが残っていたが,1階に店舗用と居住用の2つの格子戸,2階窓にも面格子,壁の仕上げを変えることで,居住者の安心,景観,経済性を向上させ,壊さずに引き継がれた。
植田家
Uedake
オリジナルにより近い形に修復された。出格子,漆喰の色,引き戸等に昔からの京町家のしつらえが残っている。室外機を覆う格子には,ナグリ加工が施された材が使われ,品の良い表情となっている。生業である生そばの老舗と共用している庭も美しい。
 上村家
 Uemurake
上村松園(1875~1949年)が大正3年(1914)に建築。上村松篁(1902~2001年)も制作活動をした日本画家の住宅。大正期らしい様相を残す,時代を代表する住宅建築。
 大江能楽堂
 Oe-nogakudo
切妻屋根の舞台を中心に,見所は2階建ての別棟とし,舞台を矩折に取り巻いている。明治後期に創建された能楽堂の希少な建築遺構である。
岡野家
Okanoke
外観や茶室をリニューアルされたが,玄関の敷石や井戸といった古きよきものは生かし続けていて,家へのこだわりを感じさせる。外観では虫籠窓とクーラー室外機の格子カバーが美しく映える。両側の建物とも調和している。
 岡墨光堂
 Okabokkodo
生業である日本画の表装技術を生かし,絵画や書跡等の文化財修理をされている。大正12年(1923)に建替えられた建物で,経年の外観の傷みを近年修復された。木造の建物の風合いを生かしながら,歴史ある商売を続けている。
 竹影堂(かざりや鐐)
 Chikueido(Kazariya-Ryo)
金属工芸の老舗「竹影堂」から生まれた錺細工の店である。この町家には,若手職人が作り出す,美しい銀細工の品々がミセノマに並べられ,その奥では加工作業が行われている。
 片山文三郎商店
 Katayama Bunzaburo-Shoten
京鹿の子絞り専門の呉服製造業を創業した初代が昭和10年(1935)に建築した表屋造、本二階建の町家。ザシキには繊細な意匠を施した良質な材を用い、洋室が設けられているなど、大正から昭和初期の上質な町家の特徴を見ることができる。
 カトリック河原町教会
 The Catholic Kawaramachi Church
明治23年(1890)建築の聖ザビエル聖堂が明治村へ移築後、昭和42年(1967)に新聖堂として建てられたもの。外観の大きな勾配屋根は、設計指導をしたカール・フロイラー神父が発案したものとされ、京都らしさを意識しつつ、モダニズムの意匠で建てられた印象的な聖堂である。
加納洋服店
Kanoyoufukuten
大正期の町家の表屋を昭和2年に改修し,テーラーを始めた洋服店。平入りの2階建町家にパラペット建ち上げ,3階建ての洋風建築に見せる外観意匠。店舗内部は作業に必要な自然光を入れるためトップライトを設けた,テーラーならではの造りである。
釜座町 町家
Kamanzacho Choie
中規模で典型的な京町家である。町内会の持ち物として,会合や地蔵盆に使用されてきた。国内外の支援団体と連携して改修し,再生された。
亀末廣
Kamesuehiro
文化元年(1804)創業の老舗の菓子屋。建物は,創業当初からの外観を残す総2階桟瓦葺の主屋と築100年以上の穀物用の蔵が姉小路側に建ち,その界隈の形成に重要な建物となっている。
 がんこ高瀬川 二条苑
 Gankotakasegawa Nijoen
高瀬川の源流で,角倉了以,山縣有朋とゆかりがある,七代目小川治兵衛作の庭園。森鴎外の小説「高瀬舟」の舞台にもなっている。
菊岡家
Kikuokake
運送業を生業とした先祖が江戸初期に作った漆喰の石室には,家屋が消失した蛤御門の戦いの時にも,貴重品を入れたそうである。現主屋は明治20年頃に建てられた。第二次世界大戦での延焼防止のため改修した袖壁,うだつ等が現存する。
旧石川家(和久傳堺町店)
Kyuisikawake(Wakuden-sakaimachiten)
木造平入総2階の間口が広い町家。腰壁に金属性のパイプ格子を備えた昭和初期の町家の特徴を備え,2階の虫籠窓や軒から簾がかかる外観は,姉小路界隈の景観の重要な要素となっている。
旧光仙洞(ババグーリ京都)
Kyu-Kousendo(Babaghuri-kyoto)
明治期の町家を店舗として活用することで残すことを理念に, 平成7年(1995)に改修された。内部は,町家の構造や特徴を 活かした造りとなっている。
旧神家
Kyu Jinke
神家は,江戸幕府が設けた秤座の西国責任者として秤の製造,販売,検定等を担ってきた家系。棟札に文政7年(1824)と書かれた巽蔵は,蛤御門の変の大火を逃れ,現在に至る。
旧本田商店(魏飯夷堂)
Kyuhondashoten(Gihanebisudo)
明治20年(1887)頃の建築で,元は醤油醸造を営む店であったが,数年前に中華料理店として再生された。内部も当時の町家の面影が残されている。
京都中央信用金庫 丸太町支店
The Kyoto Chuo Shinkin Bank Marutamachi Branch
昭和初期に旧第一銀行の支店として,建築家 西村好時の設計により建てられた。鉄製の装飾が施された半円のアーチ窓が,印象的な外観となっている。
京のお宿 三福
Kyono-oyado Mifuku
大正時代終わりに建てられた元お茶屋さんの建物を丁寧に改修され,お宿として営業されている。お部屋から見える鴨川の景色は残すべき価値のある空間。
久保田家
Kubotake
漆喰を塗り直し,戸袋や室外機格子カバーを設置等の改修を行われた。角地に建つ間口の広い建物なので,寺町通りから姉小路通りに入った折に,当家が見えてくると,建築協定を結び,改修も進めてきた姉小路の町並みの始まりが感じられる。
熊谷道具處
Kumagai-Dogusho
明治期に建てられた虫籠窓と達筆な看板を持つ店舗型の町家である。店内は,創業当時と同様,茶道具類や古美術品が多数並べられ,地域の景観を形成している。
 小林祐史写場
 Kobayashi Yushi Shajyo
昭和初年に居宅兼写真館として建てられた木造3階建ての洋館。3階スタジオの北側は採光のために大きなガラス窓となっている。昭和初期の写真館の建物として貴重な存在である。
小林家
Kobayashike
昭和4年(1929)築の町家である。元々八百屋を営まれていたミセノマの部分を貸し店舗用のスペースへと改修。町家の佇まいを残し,ミセノマは賃貸部分とする町家再生の好例の一つとなっている。
 誉勘商店
 Konkan Shoten
誉勘商店は,呉服問屋が多い室町通の金襴製造卸商で,宝暦年間(1751~64)創業の老舗。創業時の建物は蛤御門の変(元治元年(1864))で焼失し,現在の建物は,明治9年(1876)に再建された。
 彩雲堂
 Saiundo
全国的にも有名な歴史のある日本画の画材店で,鉄斎の看板が何よりの宝物である。店舗入口にある4枚の建具には施主の思いが強く,近年の改修では,腰板部分を補強・化粧を施し残された。銅製の樋も経年すれば生業にふさわしい味わいが期待される。
佐々木家
Sasakike
昭和初期型と思われる外観で,表屋造り風の建物である。通りから見ると2階建だが,内部は3階建てで,階高が高く,1階,2階それぞれに本床のある座敷があり,当時の生活を偲ぶことができる建物である。
里村家
Satomurake
建物の側面に大工が長年保管していた上物の焼杉板を使用している。隣接がガレージであり,奥行が深いため目立っている。ファサードは地味ではあるが上品な色調と仕上げに工夫がみられる。境界ブロックも漆喰風の美しさが表現されている。
砂川家
Sunagawake
先代から茶道具,書画・骨董品を商ってこられたためか,家の造りにお茶の精神が表れているように見える。飾窓が改修の際も移設して残される。その中に置かれるお茶花が,道行く人をさりげなくもてなし,先代からの精神を今に伝えている。
島津製作所旧本社
Shimadzuseisakusyokyuhonsha
島津製作所の社屋として昭和2年に建築された,鉄筋コンクリート造4階建ての建物。武田五一が設計顧問をつとめ,教え子の荒川義夫が設計を担当した。ロマネスク風の柱頭,三角形のモチーフなどが意匠の特徴となっている。昭和初期の都市景観を伝える建築である。
 島津製作所創業記念資料館
 Shimadzu Foundation
 Memorial Hall
島津製作所の創業者 島津源蔵の住宅として明治期に建てられ,約45年にわたり本店として使われた。現在は,島津製作所が製造した機器などを展示する資料館。近代化を進める明治期の京都において科学技術発展の拠点だったことを伝えている。
 嶋臺
 Shimadai
慶長13年(1608)に糸割符商として創業し、天明年間(1781~1789)に酒造業も始め、両業を家業とした。建物は、明治16年(1883)に再建された大規模な町家で、現在は貸会場、ギャラリーとして活用している。
 炭屋
 Sumiya
大正初期に建てられ,茶道や謡曲を嗜む人たちのサロンとして始まった旅館。数寄屋建築の建物は当時のまま残る。客室の天井の網代,襖の引き手,聚楽の壁など今も大切に残され使われている。
膳處漢ぽっちり
Zezekanpochiri
昭和10年(1935)に呉服店兼住居として建てられた。表屋造の町家の構成を踏襲し,およそ200坪の敷地に洋館,和風の居住棟,離れ,土蔵が建つ。現在は,中華料理店「膳處漢」と,バー「ぽっちり」として利用されている。
染殿院
Somedonoin Temple
「安産祈願のお地蔵さん」として名高い寺院である。建物は,どんどん焼けの際,仮堂として建てられたものと云われている。喧騒な通りから一歩境内に入ると厳かで静かな雰囲気を味わうことができる。
竹内家(旧丹定米穀店)
Takeuchike (Kyu Tansada Beikokuten)
文化5年(1808)から近年まで米穀商を営んでいた。昭和2年(1927)に建てられた表屋造りの町家で,表蔵が建つ。とおり庭・はしり・火袋・天窓・おくどさん・井戸・虫籠窓・米屋格子などが風情を伝える。
谷口家
Taniguchike
砂糖卸商を生業としていた仕舞屋の名残として,往時をしのぶ7枚の表戸が特徴的である。夏季は格子枠だけのすこぶる風通しのいい表戸に入れ替える。平成18年に景観に配慮した改修を行った。地蔵盆と姉小路行灯会では沢山の方々が集まる。
 田畑家
 Tabatake
昭和5年(1930)に建てられた総檜造の町家。和洋折衷のつくりで2階に洋間がある。坪庭は裏千家今日庵に出入りする造園業者植熊によるものと伝わり,座敷を茶室としても使えるように坪庭から座敷に入ることができる。
玉の湯
Tamanoyu Public Bath
明治期に建てられた,市民に広く愛される歴史ある銭湯である。正面玄関のタイル張りの部分の奥には当時からの町家の部分が残っている。
 俵 屋
 Tawaraya
宝永年間(1704~1711年)に太物問屋として創業。次第に宿を本業とするようになり,江戸末期には,様々な京都の地誌に「寄宿」として記載される。蛤御門の変(1864年)で全焼したが,明治初年には旧館が完成する。
鳥居家
Toriike
化粧柱を採用してアクセントを強調している。玄関扉をアルミ戸から木製格子に交換したことで,開口幅を拡げて利便性を高め,同時に景観性も向上させた。更に銅製の樋を採用したことで高級感を高め,趣のある京町家に仕上がっている。
new 錦天満宮
 Nishiki tenmangu
新京極の中にある菅原道真公をお祀りする鎮守社。地元では「錦の天神さん」として親しまれている。繁華街の中で心落ち着く神社で,ビルを突き抜けた鳥居も珍しい。
日昇別荘
Nisshobesso
寛文3年(1663)に杉浦三郎兵衛が呉服商「大黒屋」 を創業したことに始まる。昭和24年に所有者が変わり, 旅館・日昇別荘として開業した。最も古い建物には,天 明8年(1788)の墨書が残り,幕末の大火で焼け残っ たことが分かる。
 西島家(山茶花美術館)
 Nishijimake(Sazanka Museum)
明治13年(1880)に建てられた表屋造の京町家。1階の格子と犬矢来,2階の虫籠窓が特徴で,明治期の商家の様子を伝えている。現在は山茶花美術館として使われている。
西村家
Nishimurake
近年,大正期の町家を現在の住環境に適した町家として改修された。外観は,古材を活用するなど町家の雰囲気を残しつつ,内部は,耐震,バリアフリー,断熱対策を講じたものとなっている。
 NISSHA本館
 NISSHA Main Hall
煉瓦造2階建ての洋館。明治39年(1906),工場の事務所として建てられ,現在は印刷技術に関する収蔵品や会社の歴史をたどる資料を展示している。外観は連続したアーチ窓が並び,玄関にはコリント式オーダーを設ける。
 速水家
 Hayamizuke
大正2年(1913年)の建築。現存する設計図等からも,当時の様子を窺うことができる。祇園祭の頃に襖を御簾や葦戸に替え,網代を敷き,夏のしつらえにすると,坪庭から奥へと風が通り,奥座敷から打ち水した庭を見ると涼やかで,心の安らぎが感じられる。
 柊 家
 Hiiragiya
文政元年(1818)創業の旅館。麩屋町側の外観は駒寄せと樹齢80年余りのムベ,御池通り側は黒塀からなり道行く人の目を楽しませている。
 廣田家
 Hirotake
昭和2年(1927)に建てられた京町家。道路に面して洋館が建ち,奥に和風の居住空間や庭が続いている。建築当時の様子を伝える外観は,通りの良好な景観形成に寄与している。
百芳軒
Hyakuhoken
明治初期に蚕糸問屋として建てられた典型的な京町家スタイルを残している。マンション開発が進む立地にある中,京町家の意匠を後世に残すだけでなく,地域コミュニティ活性化の拠点として開放されている。
福井畳店
Hukui-tatamiten
明治3年(1870)創業の老舗の畳店。木造2階建て平入りの建物で,表通りに面した1階の土間が作業場となっており,店主の手作り作業が見られ,高倉通りの風情となっている。
 藤井家
 Fujiike
昭和8年(1933)建築の京町家。その造りは,干し場,検品場所等といった絞り悉皆業としての仕事が効率良く出来るような配置になっている。
 藤井家(東宅)
 Fujiike (Higashitaku)
大正時代に建てられた町家で,内玄関の下には防空壕が残っている。祖父が購入したこの町家を,子どもに受け継がせたい。
 藤野家
 Fujinoke
大正15年建築の京町家。昨今の土地バブルで地価が高騰し,維持に難渋しているが,ホテルにするのはしのびないので,なんとか後世に引継ぎたい。
 本田家(旧寺江家)
 Hondake(Kyu Teraeke)
昭和9年(1934)頃,呉服業を営む寺江家によって建てられた京町家。ハシリニワや火袋を持つ構成は京町家と同じだが,西洋のモダンデザインを取り入れている点に,新しいものを取り入れる京都の町衆の心意気が見られる。
 先斗町歌舞練場
 Pontocho-kaburenjo
昭和2年(1927)3月に竣工。花街先斗町で中心的な役割を果たし,鴨川をどり・水明会が開催され,現在もなお三条大橋袂の景色をなしている。
前田家
Maedake
明治29年(1896)に建築。おくどさん・走り庭・鍾馗さん・虫籠窓・布袋さん・三和土土間・箱階段・井戸・吹き抜け空間等を残している。庭は枯山水様式。
松尾家
Matsuoke
築90年程経っている建物に,近年室外機に虫籠窓のピッチや形状を考慮した格子枠をつけ,景観的に配慮された。京呉服の販売を生業にされ,室内の赤色の配色により,店頭には品のある色気が感じられる。
満き(旧魚常)
Mitsuki (Kyu Uotsune)
100年近く料亭として使用されていた数寄屋造りの建物。母屋と離れ,2つの異なった趣の庭を有する。建物の至る所に使われている天然木材と,左官職人が丁寧に仕上げた聚楽壁が馴染んでいる。
三原家
Miharake
間口が大きく,格子の前にお地蔵さんがある町家である。大正時代に改装されたと思われる2階の洋間や,トオリニワの吹き抜けにある欄間などに特徴があり,通り景観としても,これからもずっと京都に残してほしい建物である。
壬生狂言ゆかりの庭(尼ヶ池)
Mibukyogen-yukarinoniwa(Amagaike)
壬生狂言を代表する演目である「桶取」の発祥の地。尼ヶ池の歴史は古く,平安時代の朱雀院の一部であると言われている。春の壬生狂言の際には,故事通りに池の水を汲んで壬生寺の本尊に供えられている。
村上開新堂
Murakami-kaishindo
明治40年(1907)創業の洋菓子店である。看板の文字,カーブのついたショーウィンドウなどレトロな佇まいが歴史を感じさせる。店内には木枠のショーケース,タイル貼りの床などが当時のまま残されている。
 元祇󠄀園梛神社
 Motogion Nagijinjya Shrine
「元祇󠄀園さん」とも呼ばれ地域に親しまれている貞観11年(869)創建の神社。梛神社・隼神社・社務所・鳳輦庫(ほうれんこ)とも戦前の建物で,地域の財産,京都の財産として後世に残していきたい。
森口家
Moriguchike
改築前の看板建築を,京町家らしい木の暖かみのある建物に復元し,耐震への備えも同時に行われた。デザイン上のアクセントになっている防火壁は,延焼防止の役割を果たすだけでなく,町並みを形成している景観要素の1つとなっている。
森田家
Moritake
白い土壁が特徴的で,天井の煤竹も風情がある。竹内栖鳳が銅駝校で絵画を勉強していた頃に,下宿していたと伝わる。通りに面する坪庭に,家の前を行き来する人たちを招き入れて,お茶のおもてなしをされている。
八百三
Yaosan
宝暦年間創業の柚味噌の老舗。総2階桟瓦葺で,格子,腰板を備えた外観は,当家から作り出される伝統の味とともに商家としての形が残されている。
 家邊徳時計店
 Yabetoku Tokeiten
三条通に建つ店舗。家邊徳時計店は時計貴金属商として明治4年(1871)に創業され,煉瓦造2階建ての店舗部分は明治23年(1890)に建てられた。店舗の奥には住居棟が建つ。3連アーチが外観の特徴で,現在はテナントとして活用されている。
吉 川
Yoshikawa
数寄屋造りの純和風建築と小堀遠州の作庭と伝えられる百坪あまりの庭園を有する料理旅館。建物は大正7年建築で4部屋の茶室を有する。今では手に入らない材木が各所に使われている。
吉澤家
Yoshizawake
近年の改修で,全体のバランスを考慮して従来よりも扉格子のピッチを細かくし繊細さを表現すると同時に,樋や水切りにも銅を多用して上質感を高めている。真新しく輝く銅の美しさも時間とともに緑青へと変化して味わいを深めてくれる。
リエノ京都本店(旧ムラナカ理容院)
Rieno-kyotohonten(kyumuranaka-riyoin)
昭和3年(1928)建築の木造3階建ての元理髪店。煉瓦タイルの外壁,アーチ型の窓や細かな装飾などを備えた洋風意匠となっている。内部の構成など町家との共通点も多い建物である。
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