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錦天満宮(にしきてんまんぐう)[Nishiki tenmangu]

所在地
 中京区
 
選定番号
 第11−014号
  


推薦理由(抜粋)
 新京極の中にある菅原道真公をお祀りする鎮守社。地元では「錦の天神さん」として親しまれている。繁華街の中で心落ち着く神社で,ビルを突き抜けた鳥居も珍しい。



認定番号
 第224号

認定理由
 錦天満宮は、錦小路通の東端、新京極通の東側に位置する。祭神は菅原道真公で、社伝ではその邸宅跡に公を弔うために建立された歓喜寺に遡る。同寺院は11世紀初めに六条河原に移り、後に名称を歓喜光寺と改めるが、そこに付設していた神社に由来するという。天正15年(1587)、豊臣秀吉の都市改造によって歓喜光寺に伴って現在地に移転し、以後、名称を錦天満宮と改めた。明治5年、神仏分離令によって歓喜光寺は東山に移転し、同年の新京極通の開通に伴って現在の境内規模となった。錦小路沿いに建つ石鳥居は、新京極通の開通以前の境内の名残で、両側の店舗にめり込む形で建ち、観光名所としても知られる。
 現在の社殿は、明治22年(1889)の焼失後に再建されたものである。木造、一間社造、銅板葺の本殿と、向唐門形式の向拝を備えた拝殿からなり、いずれも翌23年に竣工している。拝殿は約2間×4間の規模で、神事・祭事を執り行うための空間を確保している。大正15年(1926)から境内の再整備事業が進められ、まず2階建の社務所、昭和2年には表門、昭和9年(1934)頃には3階建ての蔵が、いずれも鉄筋コンクリート造で建てられた。表門は銘板から、技師・笹川新太郎の設計により、棟梁・神谷與市が施工したことが分かる。蔵には棟札が残り、白波瀬工務店の設計・施工に加えて、笹川が設計に携わったことが確認される。笹川は、日野誕生院(昭和6年)の設計を担当したことが知られている。殊に社務所は鉄筋コンクリート造の構造体の中に木造の造作を貼り付ける手法により、違和感なく伝統的な和室空間を構成しており、技師・笹川の力量が感じられる。大正末から昭和初期の一連の境内整備には、都市部に立地する神社が、過去の火災の経験を踏まえ境内の不燃化を進めようとした歴史を垣間見ることができる。
 錦小路の突き当たる位置に建つランドマークとしても重要な神社であり、観光名所ともなっている。近代以降、京都有数の繁華街の立地に合わせて境内整備を進めていった歴史を伝える境内は、建築的にも興味深い遺構を残している。



ホームページリンク:
 錦天満宮のホームページはこちら(外部リンク)

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