![]() |
---|
![]() |
所在地 北区 |
|
選定番号 第12−003号 |
|
推薦理由(抜粋) 洋画家・国盛義篤の居宅兼アトリエとして、昭和10年に建築され、その後、関西美術院の理事をつとめた洋画家の三谷祐幸に引き継がれた。北側に大きな窓を開け、天井高の高い アトリエが設けられている。 認定番号
第236号 認定理由 旧三谷祐幸家は昭和初期に区画整理事業によって宅地化した紫竹地区に所在する。広島県出身の洋画家・国盛義篤(1897〜1951)の居宅兼アトリエとして、昭和10年(1935)建築された。国盛義篤は京都市立絵画専門学校日本画科を卒業し、在学中から関西美術院で洋画を学び、後には母校で教鞭をとった。洋画家・三谷祐幸(1927〜2019)も広島県出身で、国盛は父の知人であった。広島居住の頃より後に関西美術院理事となる洋画家・黒田重太郎に師事し、絵画を学んでいた三谷は、戦後京都に出て関西美術院に入学した。この時、国盛の居宅である現建物に居住した。国盛の死後、この建物に居住し創作の場とした三谷祐幸は、汎具象美術協会創立で活動するとともに関西美術院に携わり続け、後には同院の理事、代表をつとめた。 通りに面して南面し、関西美術院を思わせる煉瓦造の門柱を構える。主庭を設け、やや奥まって木造平屋建、瓦葺の建物が切妻の妻面を見せて建つ。敷地東側の通路から玄関にアプローチし、玄関西側には中庭を設ける。主庭に面する南側に座敷、客間を配する。玄関部分の北側に食堂や台所を置き、北西側がアトリエとなる。アトリエは約3間四方の広さの板間で、北側に天井まで届く大きな窓を設ける。室の東側面にはギャラリー状の空間とし、その奥に設けられた天井裏の部屋を寝室としたと伝わる。玄関部分を挟んで、庭に面する南側を接客空間、北側に創作空間、生活空間を配してコンパクトにまとめたアトリエ付き住宅である。 現在は、関西美術院の代表をつとめる洋画家・阪脇郁子氏の創作の場として活用されている。昭和初期に開発された郊外地に建てられた洋画家のアトリエ兼住宅である。昭和初期に遡るアトリエ建築の現存例は少なく、貴重である。京都の洋画壇の歴史を伝える建物で、現在もアトリエとして継承されていることも注目される。 |
京都市 文化市民局 文化芸術都市推進室 文化財保護課 〒604-8571 京都市中京区寺町通御池上る上本能寺前町488番地(分庁舎 地下1階) 電話:075-222-3130 FAX:075-213-3366 (C)2013 City of kyoto. All rights reserved. |
---|