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しょうざん光悦芸術村(しょうざんこうえつげいじゅつむら) [Shozankoetsugeijutsumura]

所在地
 北区
 
選定番号
 第1−004号
  


推薦理由(抜粋)
 庭園は料亭の和風建築の横を流れる小川,樹木の茂みや苔むした斜面から造られている。台杉の庭や,紅葉の季節には両岸から覆いかぶさるように染まる紅葉が見もの。



認定番号
 第194号

認定理由
 「しょうざん光悦芸術村」は,西陣織業「しょうざん」の創業者・松山政雄が鷹峯に造営した庭園である。松山は西陣織の撚糸業の家に生まれ,織物業者で奉公をつとめた後,昭和23年(1948)に起業し,「ウールお召し」の開発等で知られた。西陣織物業者の間では,工芸,絵画,書などに多才を誇った本阿弥光悦は,現代的な意味でのプロデューサー兼デザイナーとして評価され敬意を集めたとされるが,松山もその一人であった。そのため光悦村の所在した鷹峯の地に着目し,生産と観光を一体化した「観光工場」を目指したとされ,しょうざん光悦芸術村は着物の展示場や観光用途に用いられた。昭和26年(1951)頃から造営が始まり,同50年代にかけて幾つかの建物が新築・移築された。中心となる峰玉亭は,昭和40年(1965)頃に新築された木造平屋建ての建物である。棟梁に松山が指示を与えながら普請したと伝わるが,施工者は不明である。良材を用い,竹材を多用する造りで,書院造と数寄屋意匠を用いた豪壮かつ華やかな意匠を有する。松山が収集した絵画が襖絵に用いられている。紫峰邸は,大徳寺近辺に昭和14年(1939)に建築された日本画家・榊原紫峰の邸宅を,昭和30年(1955)に移築したものである。また,千寿閣は日本画家・鈴木松年の明治期のものとされる邸宅を移築している。この他,移築された茶室などが残る。北山の台杉や大きな石を多用する庭に,建物群が配される構成をとる。
 しょうざん光悦芸術村は,西陣織物業の経営者が盛業で得た富で造営した展示場を兼ねた庭園である。贅を凝らした建物や,移築された画家の邸宅など,建築的にも価値が高い。戦後の西陣織物業が残した遺産として,京都の近代史においても重要である。


ホームページリンク:
 しょうざん光悦芸術村のホームページはこちら(外部リンク)

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