カトリック伏見教会(かとりっくふしみきょうかい)
[Catholic-fushimi-kyokai
Church]
所在地 伏見区
選定番号 第1-079号
推薦理由(抜粋)
戦後、旧第十六師団跡地に設立された教会で、昭和26年には聖堂、伝道館(現第一伝道館)などが建設された。聖堂は、高野教会、西陣教会などを手掛けたウィリアム・ニーリー神父によるものと考えられる。

認定番号 第241号
認定理由
聖母女学院の校地に隣接するカトリック伏見教会の敷地は、明治30年(1897)、陸軍歩兵第三十八連隊が置かれた地である。日露戦争末期の同38年(1905)に第十六師団が増設され、同41年(1908)には、第十六師団司令部が移転した。戦後、GHQによる接収を経て、十六師団司令部は聖母女学院に払い下げられ、司令部建物は現在、聖母女学院本館として現存している。昭和25年(1950)、米国・メリノール修道会により、カトリックの伏見小教区が設立され、ウィッテ神父が着任した。翌26年(1950)、旧第十六師団跡地の現在地に伏見教会の聖堂、伝道館(現第一伝道館)が建設された。
聖堂は、米国メリノール会に残る書簡から、設計はウィリアム・ニーリーによるものと考えられる。ニーリー神父は伏見教会以前に高野教会、西陣教会を手掛けている。木造、焦げ茶色の洋瓦葺で、西側の本町通に正面を向ける。切妻造の妻面の1階に3連アーチを用いて入口とし、上部に丸窓を備える。北側脇に3階建の鐘楼を設ける。壁面はスタッコ仕上げで、屋根瓦とともにスパニッシュ風の外観を演出している。内部は縦長の単廊式平面で、東側に内陣を配し、その奥に香部屋と前室(小聖堂)を設ける。正面入口の上部は2階を設けて楽廊とし、鐘楼へと上がる階段が設けられる。鐘楼には当初から鐘は吊られず、拡声スピーカーが用いられたという。天井は木造のキングポストトラスをあらわし、方立部分に装飾を施している。聖堂の南側の第一伝道館は、木造平屋建の建物で、東側に司祭館、西側に集会所が配される。聖堂の東側に建つ第二伝道館は、木造平屋建の建物である。教会の建設以前に既に建っていたと考えられ、陸軍施設の遺構と推測される。
カトリック伏見教会は、戦後間もない時期に建てられた聖堂や伝道館が一体として残る。陸軍施設跡地に建つ良質な意匠のカトリック教会は歴史の重層性を伝え、周辺の歴史的な景観要素ともなっている。