浮田家(うきたけ)[Ukitake]
所在地 伏見区
選定番号 第3-026号
推薦理由(抜粋)
明治中期に建築された建屋及び納屋から構成される。建屋が面する通りは,明治元年(1868)の付け替え工事まで木津川の堤防であり,建屋背面の高基礎がそのことを示す。建屋の表と裏の表情の違いは興味深く,水運で栄えた美豆の繁栄を偲ばせる。
認定番号 第242号
認定理由
浮田家は旧淀城下町の南、伏見区淀美豆町に所在する。江戸期には寛永14年(1637)に当時の淀藩主・永井尚政によって水害防止策として最初の木津川流路付け替えが行われた。浮田家はこの当時の木津川の南岸の堤防上に位置する。このため美豆地区は木津川水運の荷下ろし場としても機能し、近年まで荷を保管するための「浜納屋」も残されていた。慶応4年(1868)5月に生津地区で木津川の堤防が決壊した。この「生津切れ」の直後、明治元年から3か年をかけて木津川の付け替えが行われた。また、明治33年(1900)には宇治川が美豆地区の南側を横切る位置に付け替えられ、ほぼ現在の景観となった。
浮田家は南北に延びる旧木津川の堤防上に東面して建つ。浮田一族は河内国・藤井寺に出自し近世から淀で醤油醸造業を営んでいた。美豆の浮田家は明治24年(1891)に本家から暖簾分けし、現在地に店を構えて菜種油製造業を営んだ。主屋の他、土蔵、離れなどが残る。主屋は出格子を嵌める町家風の外観である。小屋裏に残る祈祷札や上棟式に関する文書資料から、明治24年建築と判明する。土蔵も同時期と伝わる。明治26年(1893)には主屋北側に増築して納屋をつくったが、この納屋と土蔵1階が菜種油の生産空間だったとされる。主屋はつし2階であったが昭和42年(1967)に屋根を嵩上げし本2階建の高さとした。堤防上の街道沿いには町並みが形成されているが、裏手になる西側面には各戸が石垣を用いて土地を造成し敷地を拡張している。このため背後の崖面に凹凸のある独特の景観が見られる。浮田家の土蔵や離れも背面に石垣を築いて建てられている。
浮田家は、川とともに変遷してきた淀美豆町で菜種油製造を営んだ建物である。同地域に残る数少ない歴史的な建物で、地域の歴史を現在に伝える貴重な存在と言える。
参考 歴史的風致形成建造物