認定番号 第211号
認定理由
瑞光寺は明暦元年(1655)、元政上人が深草の地に草庵・称心庵を営んだことに始まる日蓮宗の寺院である。平安期に藤原基経によって建立された極楽寺(後に日蓮宗の宝塔寺に改称)の境内跡地の一角に当たると伝わる。元政上人は、寛文元年(1661)に瑞光寺と名を改め、本堂である寂音堂を建立したという。
現在の本堂(寂音堂)は、棟札から宝暦12年(1762)に再建されたものと判明する。工匠として東福寺門前の「長谷川六右衛門藤原廣次」の名が記されている。寄棟造の茅葺屋根の建物で、桁行6間×梁間5間半の方形に近い平面をとる。堂の中央に配された内陣には須弥壇が設けられ、本尊の阿弥陀如来坐像が座する。内陣の四周には外陣などの畳敷の空間が配されている。背面側には位牌檀が設けられ、元政上人の像などが安置される。日蓮宗の本堂建築とは異なる形式で、元政上人の営んだ草庵の構えを継承する意図が推測される。この他、客殿、鐘楼、山門などが残る。客殿は平屋建、桟瓦葺の建物で、設計資料から昭和12年(1937)に建て替えられたものと分かる。22畳半の広間は中心を網代天井とし、その周囲を紙貼とする瀟洒な造りである。山門は薬医門形式で、元は茅葺屋根であったが近年の台風被害を受け、銅板葺で復旧された。天井にのした竹、扉に竹の半切り材を用いるなど、数寄屋意匠を取り入れている。山門、鐘楼は改変を経ているものの、江戸後期に遡る遺構と考えられる。
瑞光寺は、各時代に手を加えながらも明治初め以来の境内が踏襲されてきた。殊に本堂は京都市内では数少ない茅葺屋根の本堂で、元政上人による草庵の面影を継承した建物であり、その由緒の他、景観要素としても貴重である。
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