認定番号 第216号
認定理由
元祇園梛神社は、壬生梛ノ宮町に所在し、四条通と坊城通に面して境内が広がり、それぞれの通りに面して石鳥居が建っている。社殿は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祀る梛神社と武御雷尊(タケミカヅチノミコト)を祀る隼神社(はやぶさじんじゃ)が並ぶ構成をとっている。両社は敷地西側端に東側に正面を向けて配置される。社伝によれば、梛神社は貞観11年(869)に疫病を祓うために播磨国より牛頭天王を勧請したことに始まるとされ、近世には現在地に鎮座したと伝わる。隼神社は『三代実録』の貞観2年(860)にその名が見られるが来歴は不詳である。明治16年(1883)の神社明細帳ではやや北側の壬生御所ノ内町に所在しており、大正7年(1918)に現在地に遷座したと記録されている。
現在の社殿については、昭和15年(1940)の建築申請書が残り、添付図面から隼神社に該当することが分かる。設計者は馬淵櫻井建築事務所と記されている。同事務所は徳力彦之助邸(昭和12年(1937)/国登録文化財)の設計者と確認できるが、社寺建築を手掛けたとは考えられず、代願業務を請け負った可能性が考えられる。同図面には現状と同様の梛神社立面が描かれており、既に梛神社が竣工済であった可能性が高い。隼神社の竣工予定は昭和16年(1941)で、両社殿は同時期に整備されたものと考えられる。梛神社は向唐門形式の拝殿を有し、三間社流造の側面に庇を設けた本殿を配する。本殿は中央間を開放し、屋根は瓦積の棟とする。隼神社もほぼ同様の構成をとるが、拝殿は入母屋造屋根の平入として唐破風を載せる形式である。また、本殿は流造の屋根に千木と6本の鰹木を載せる特徴的な意匠である。
元祇園梛神社は昭和10年代に整備された特徴的な社殿を残し、近代の社寺建築事例として評価できる。古い由緒を有する神社が明治期に合祀され、整備されていった過程を伝える好例としても重要である。
参考 歴史的風致形成建造物
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