長谷川家(はせがわけ)[Hasegawake]
所在地 山科区
選定番号 第11-029号
推薦理由(抜粋)
旧東海道の日ノ岡峠に位置する。主屋は、明治24年に創業された山科牧畜牛乳搾乳所の建物である。昭和初期には20頭以上の乳牛を飼育し、主屋の背面にはかつての牛の運動場が残る。昭和初期に増築された隠居家は栄花山荘と名付けられている。
認定番号 第247号
認定理由
長谷川家は山科区北花山地区に所在する。旧東海道に面し、かつては日ノ岡峠と呼ばれた。江戸時代には荷を運ぶ牛車が通る車道に車石が並べられていた。長谷川家は明治24年(1891)、分家した長谷川安之助が現在地に山科牧畜牛乳搾乳所を創業し、酪農業を始めたことに始まる。1頭の牛から始まった牧場は昭和初期には20頭以上を数えたという。敷地の西寄り部分には牛舎が建っていた。主屋の背後は傾斜地で、その丘上が牛の運動場となっていたとされ、現在でも柵の石杭が残されている。敷地の北西部に建つ土蔵から牛舎の間には、餌である藁を運ぶためのトロッコが敷かれていた。戦前期には牛乳を飲む習慣がまだ普及しておらず、主に京都市内の病院に患者の滋養強壮のために納入されていたという。缶に入れた牛乳をリアカーで市内へ運ぶのに便利なように、峠上の立地を選んだと伝わる。
敷地には主屋、離れ棟、土蔵が現存している。主屋は明治24年に建てられたもので、追分から建物を移築したと伝わる。街道からやや奥まって建ち、境には低い石垣と生垣が設けられている。つし2階建の建物で、街道側に1階に出格子、2階にむしこ窓を備えた町家風の外観意匠を街道に向けている。当初は東側に通り土間を配し、1列に居室を並べる町家型の平面であった。主屋西側には昭和初期に隠居家として増築された離れ棟が接続する。主屋とは別に設けられた玄関を入ると、1、2階とも4畳半や3畳の小さな部屋が配されている。床柱に屈曲した変木を用いたり、網代を用いた雪見障子を嵌めるなど数寄屋風意匠を用いられ、隠居家に相応しいつくりとなっている。戦後、借家とした際に栄華山荘と名付けられた。敷地の北西部分には土蔵が建ち、かつては1階に牛の餌となる藁、2階に牧畜用具が納められていた。
長谷川家は、旧東海道沿いに面して町家風の外観を有し、旧街道の面影を残す。酪農業を営んだ民家の構えが残り、京都市内の近代史の一面を伝える重要な遺構である。