認定番号 第153号
認定理由
日向大神宮は,清和天皇の勅願によって天照大神(あまてらすおおみかみ)を粟田山に勧請(かんじょう)したことに始まり,その後,応仁の乱で焼亡したが,江戸初期に近隣の野呂宗光(のろむねみつ)らが再興したと伝わる。伊勢神宮と同様に内宮(ないく),外宮(げく)からなる。鳥居をくぐると拝殿(はいでん)が建ち,その背面に外宮,奥の一段上がった敷地に内宮が建つ。両宮とも桁行正面1間,背面2間,梁行2間で,茅葺の神明造(しんめいづくり)である。前方には間口1間の拝所(はいしょ)が付く。寛政8年(1797)の普請願書の内容と一致することから,同時期の建築と考えられる。内宮本殿の屋根は,棟に内削ぎの千木(ちぎ)と堅魚木(かつおぎ)8本をのせる。妻は豕扠首(いのこさす)を組む。一方,外宮本殿では屋根の千木が外削ぎで堅魚木7本となるなど,一部に相違がみられるが,これは伊勢神宮の内宮,外宮の形式を踏襲している。内宮から参道を登ると山の中腹には天岩戸がある。「京のお伊勢」として,伊勢参りの際の参詣ルートの一部ともなった。また山上の遥拝所(ようはいじょ)からは伊勢神宮を拝することができ,代参の社ともなった。
市内では例の少ない神明造の本殿として高く評価されるとともに,近世以降の京都における伊勢参りの習俗を伝える社としても重要である。
参考 京都市登録有形文化財
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