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ちもと[Chimoto]

所在地
 下京区
 
選定番号
 第3−017号
  


推薦理由(抜粋)
 300年の歴史を刻む間口の広い木造3階建の料亭。京都ゆかりの文化人や歌舞伎役者らに愛されてきた。現在の建物は室戸台風や大洪水の後、昭和11年に建てられたもの。3階には77畳敷の大広間が配される。



認定番号
 第238号

認定理由
 ちもとは四条通から木屋町通を下った鴨川の西岸に建つ料亭である。享保3年(1718)に西陣の仕出し屋として創業し、明治初期に現在地に移転したという伝承が残る。明治38年(1905)の『日本漫遊案内』の「飲食店及び料理店」の項にその名が見られ、同41年(1908)年の『二十世紀之京都 天の巻』には、「千もとは京都一流の料理店にて座敷は東山一帯を見晴し料理亦た独特の風味あり」と紹介されている。同40年(1907)の古写真によれば建物は地階を備えて2階建となっている。昭和9年(1934)の室戸台風、翌年の京都大洪水で被害を受け、再建されたのが現在の建物である。
 建物は木屋町通に入口を設けた木造3階建で、鉄筋コンクリート造による地階が設けられている。屋根は瓦葺で、北側を入母屋造、南側を切妻造とする。棟札が残り、設計者は丹羽真次郎、棟梁は吉原長次郎、吉原治三郎と判明する。吉原長次郎は富美代をはじめ祇園のお茶屋建築を手掛けたことで知られる。昭和11年(1936)6月に上棟している。 1階は南北方向に廊下を設け、東側に客室、西側に厨房を配する。2・3階は西側に廊下を設け、鴨川に面した東側に客室を設ける。客室は各階毎に規模を替え、1階では14畳の鈴の間や10畳前後の小さめの室、2階は35畳敷の松の間など中規模の室、3階は77畳の大広間としている。3階大広間は北側に太い絞丸太の床柱をもちいた床、床脇を備え、南側は舞台としている。料理旅館として地階には大浴場が設けられていた。現在は倉庫や作業空間となっているが、装飾が施された天井部分のコンクリート梁が現存する。夏季には川床が設けられる和風木造3階建の外観は、鴨川沿いの景観を演出する。
 ちもとは、明治以来料理旅館、料亭としての生業を継承する。昭和初期の大宴会空間を備えた木造3階建の料亭として貴重な建物である。鴨川沿いの歴史的な景観を構成する要素としても重要である。



 歴史的風致形成建造物

ホームページリンク:
 ちもとのホームページはこちら(外部リンク)

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